仁歩とは?
雪が降ったような白い花がゆれる一面のそば畑、のどかな山村の田園風景が広がる仁歩の里。美しく整備されたコスモス街道、紫陽花ロード、数々の山野草、きれいな用水路を活用した「ほたるの里」づくりは幻想的な初夏の風物詩。


■観光スポット

●紫陽花ロード



●桂の清水[富山の名水百選]
「おわら風の盆」の里八尾町にひっそりと湧く。桂の古木の根元からわく水は、古くから生活用水として利用されてきた。八幡社の横にある「大玉生のかつら」の大木の根元から湧き出している清冽な清水で、富山の名水百選に選ばれている。

●大玉生のかつら[町指定文化財・天然記念物]

●平沢のつなぎがや[町指定文化財・天然記念物]

●清水のかつら[町指定文化財・天然記念物]

●尾畑城跡[町指定文化財・史跡]



■特産品

●そば
風味自慢、仁歩のそば
澄んだ空気とおいしい水、そば作りに適した環境から育まれたおらがそばは、歯ごたえのあるコシの強さとそば本来の味を十分に引き出した本物の味。一面に広がる白い花のそば畑も一度は見たいふるさとの風景だ。








■山野草

●梅鉢草
うめばちそう(梅鉢草)
ユキノシタ科ウメバチソウ属
学名:Parnassia palustris
和名:梅鉢草
花期:8〜10月  
●カタクリ
カタクリ(片栗)
ユリ科カタクリ属
学名:Erythronium japonicum
花期:3月〜5月



●一輪草
イチリンソウ(一輪草)
キンポウゲ科
学名:Anemone nikoensis
別名:イチゲソウ(一華草)、ウラベニイチゲ(裏紅一華)
花期:春



●雪割草
ユキワリソウ(雪割草)
キンポウゲ科
学名:Hepatica nobilis var. japonica
別名:ミスミソウ(三角草)
花期:春





●仁歩の歳時記

仁歩郷土誌 中山間集落機能強化等推進委員会 編


1月1日 正月
谷から若水をくみ、鏡餅を神棚へ供え、家々の囲炉裏(エレンナカ)には普段は使わない若木を燃やした。囲炉裏の火で餅を焼き、大きな鉤吊りには大きな鉄鍋がかかり、雑煮の汁を煮た。元旦の朝は雑煮をいただき、四角な餅は年の数を食べる習わしから、昔はたくさん餅を食べた。 農家にとって囲炉裏は煮炊きと暖をとる大切な所。火は火様といい、水と火を扱う所は昔も今も神聖な場所とされている。子供の頃は冷たいので囲炉裏に足を入れると、おじいさんが囲炉裏に足を入れると苗代へ鳥が入ると怒られた。冷たくても足を入れられなかった。


1月6日 小寒
この日から小寒となり、寒中の天候をみてその年の作柄の吉凶を占う寒試しという農家独特の暦を作った。


1月7日 七草
仁歩では正月のお供えの鏡餅で雑煮を作り、人参、牛蒡、ねぎ、わらび、大根、白菜、芹など、七草は身近な野菜を使った。


1月1五日 百姓の正月
囲炉裏に山から切ってきた若木を燃やし、小豆かゆ(シルコ)を炊いていただいた。いつまでも若々しくいたいという願いもあった。


1月16日 ごまんさん
御満座は親鸞上人の御命日といい、寺参りの後で、里芋の田楽を作り、囲炉裏端で胡麻や味噌を付けてこんがりと焼いて食べた。


1月18日 十八かゆ
仁歩は柿がたくさんとれた。成り木の豊作を願い、小豆かゆを作り雪深い山の畑へ二人で行き、柿の木にひとりが「成るか成らんか成らんにや鉈鎌三丁で打ち切るぞ」といって鉈で切り目をつくり、もうひとりが「成ります成ります」といって小豆のかゆを切れ目に食べさせた。


1月25日 天神様祭り
天神様は学問の神様として祀られ、正月十五日までは家々の床の間に菅原道真公の掛け軸が掛けられた。子供の健やかな成長と学業に励むことを祈り、大きな鏡餅を供え、子供のいる家では、子供たちは天神経を唱え、カルタ取り、お手玉遊びをした。


2月1日 旧正月
寒中の水は保存が効くといわれ、寒の内に餅をついた。コオリ餅、まいだま、栗餅、きび餅などを搗いて干し、春から夏にかけて忙しい農作業の間のおやつにした。


2月11日 はつんま
仁歩は春から秋にかけて養蚕の盛んなところで、良質な繭がたくさん出来ることを願った。もち米を石臼で粉にひき、繭の形をした団子に作り炊きあげて、きな粉をつけて食べた。3月3日 女の節句 昔は雛人形は各家庭になく、オハギなどを作って女の子の成長を祈った。


3月21日 彼岸の中日
仏様にオハギや赤飯をお供えして、年寄りたちは近くの寺へ参りに行き、暑さ寒さも彼岸までということから、春の彼岸から昼寝ができるようになった。


3月26日 犬(えん)の事
昔話で、こちらで麦を作っていない時代に、大麦小麦をたくさん作り、裕福に暮らしている村があった。あるとき、この村で麦を作れたら村は栄えるであろうと思い立ち、麦の種を求めに出たが、その村では麦の種は門外不出、一粒たりと外へ出してはならじと大きな犬に番をさせていた。しかし、何としても麦の種がほしい。麦を作れたら貧しい村も裕福になれる、罪深いことながら村のためにとその犬を殺し、麦種を手に入れた。村でも麦が作れるようになり暮らしは豊かになった。村の暮らしは良くなったが、犬を殺したことが心に掛かり、村の人に話したところ、犬の供養と麦の祭りをしようということになったことから、犬の事という。


4月 春祭り
雪も消え、苗代作りが始まる。種蒔きの準備が整った頃が春祭りとなる。冬の終わり頃から一ヶ月間、若い衆は獅子舞の稽古を重ね、祭りの日は悪魔払いの奉納神楽獅子として、金蔵、姐まなど、笛太鼓賑やかに舞われる。獅子舞が続けられているのは、仁歩谷筋、平沢、三ツ松、倉ケ谷になったが、昔はほとんどの集落で獅子舞があった。


5月5日 男の節句
農家の仕事の最も忙しくなるときであるが、やわらかい蓬の若芽で草餅をつき、お風呂は香り高い菖蒲を入れて沸かした。しょうぶは体の中の毒を流すといわれることから、この頃はお風呂へしょうぶを入れる習慣がある。六月 揃ったか 四月から田起こし、あらくれ、代掻きなど、田植えまでの作業はきつく、田植えは五月下旬から始めて六月上旬に終わる。田植えは婦人の仕事で「ゆい」という共同作業で行なわれ、集落の田植えがすべて終わったとき、田植えが植え揃ったということで「揃ったか」といい、その日のために男は山へ行って山いもを掘り、婦人は山菜などの手料理を作り、神棚にお供えして一日休み、骨休めをした。ほう葉二枚にきな粉をしき、炊き立ての熱いご飯をおにぎり一個分を包み、固く握って紐で結び、お神酒に添えて神棚へ供えた。


7月15日 田祭り 休事(やすごと)
田植えが終わって約一箇月、この日は出稼ぎに行った人たちも帰り、久しぶりに家族が揃う。笹餅や素麺を作り、戦後になって青年団の世話で、夜には映写会が催され、六角や角橙など、行き道帰り道は楽しい話声で賑わった。


8月2日 地蔵様祭り(おすわ盆)
仁歩地区の集落にはそれぞれお地蔵様を祀り、由来もあるが、三ツ松ではこの日、「不動明王像」不動様祭も合わせて行われている。仁歩一帯は、子供たちの世話による祭りとして、村むらの地蔵様祭があったがいつしか絶え、獅子舞のあるところだけは今も続いている。入谷の地蔵様祭は十月であったが、近年は春祭りにあわせて、獅子舞で賑やかに行われる。


8月15日 盆
二日前の十三日はお招霊といい、お墓はそれまでに草むしり水洗いの掃除をし、おしょうらい花をたて、祖先を迎える。お盆は休みが長く、前の日に家畜に与える草を二日分ほど刈り置いた。お墓参りに家から出た人や親戚縁者が集まり、笹餅、赤飯など、久しぶりの再会にふるさとの味は喜ばれた。近くの寺ではお盆法要が営まれ、夜は盆踊りに集まり人の輪も大きかった。


9月 風の盆
稲は黄色く色付き、稲刈りは近くなる。台風の季節で収穫を目前にして稲は風と雨に倒れ、刈り取った稲はハサに掛けるが、強い風に耐えきれず、ハサも倒された。収穫の秋の風は怖く、風を納めるのが風の盆ともいう。九月の終わり頃から秋祭りがはじまり、お米や野菜など、山の幸を氏神様へお供えして豊作を感謝した。


10月 鎌上げ
春の「揃ったか」のように、秋の収穫作業は一株一株を鎌で刈り、背中で運び、束ねた稲をハサに掛け、脱穀、籾摺を間にはさみながら十月中旬まで続けられる。稲刈りが終わると鎌は来年まで使わず、鎌を洗い、大事に納めるところから鎌上げといった。


10月30日 神送り
早いところでは十八日のところもあるが、一般的には三十日が多い。十一月は万の神様が出雲へお集まりになり、世の中のこと、人々のことなどを報告されるという。収穫に感謝し、お土産にお神酒と尾頭付き鮮魚、新米の餅米で餅をつき供えた。出雲の神様は縁結びの神様なので、来年の豊作をお願いするのとあわせて、若い婚期を迎える人のいる家では縁結びもお願いした。


10月 山祭り
田畑で働く人びとには田祭りがあるように、山で働く男たちには山祭りがあった。山仕事で多いのは炭焼きがある。茗芽の出る頃、窯場で五平餅を作り、味噌をつけて焼き、山の神に山の安全を祈って炭焼き窯へ供えた。五平餅は山の神へ供えるところから、家の中では作られないものといわれる。炭焼きのほかに材木を伐り、険しい山坂を運び出す仕事もある。その人たちは山の神へお神酒を供えた。


11月30日 神迎え
ひと月の間出雲へ出向かれた神様がお帰りになる日をいい、お願いを届けていただいたお礼を込めて、お神酒、尾頭付き、お餅をついて神棚へ供え、お迎えをした。


12月8日 針せんぼ 針供養
今年一年の間に使った針に感謝した。新しく村へ嫁にきた家では、里から針供養に大福を持たせて隣近所へ配った。


12月20日 大師講
あるとき弘法大師が布教の途中日暮れを迎え、夜道は遠く辺りに一夜の宿を頼んだ。その家には年老いた婆さんがひとり、食べるものもないと断りはしたが、悪いことと思いながら隣の家のハサから小豆を盗み、小豆かゆをつくりもてなした。老婆は足が不都合なため畑に足跡が付き、弘法大師は老婆の心を思いやり、雪を降らせて足跡を隠したという。この頃は雪も降り、弘法大師の跡隠しといって、老婆をいとおしみ、小豆かゆを作り人の道を偲んだ。


12月23日 冬至
この日は一年で最も昼間の短い日、仁歩では冬至に「南瓜」を食べると中風にならないといい、かぼちゃを料理に使う。


12月 万雑 まんぞう
集落の総代の家へ集まり、その年の村の雑用(経費)を精算したり、次の年の総代や役員など、世話役を決める。そのあと、夜更けまで酒、魚で一年の労苦を語り納めた。


12月31日 おおとし
(大晦日)家族一同達者で暮らせたことを感謝し、鰤は出世魚といって縁起がよく、若者が出世するようにと鰤を買い、串にさして囲炉裏で焼いた。正月の準備もととのい、この日のためにと、お婆さんが石臼で挽いたそば粉でそばを作り、年越しそばを頂いて、家族揃って喜び、正月を迎えた。