その他の活動報告


日中友好富山県地方議員連盟
第19回訪中団報告書

10月16日(日) 富山→大連→瀋陽

◆結団壮行式(15:40~16:00) ・米原  蕃 団長(議連会長) 挨拶 ・横山  栄 県議会副議長 壮行の辞 ・高平 公嗣 副団長(議連副会長) 謝辞 【富山空港16:55 → 大連空港18:30】 ◆大連事務所出迎え、夕食(19:10~20:00) 大連事務所の油本 達義 所長(県から派遣)と飯田 修一 副所長(北陸銀行から派遣)の2人が空港で出迎え、夕食に同席。 夕食の席上、油本所長から、大連事務所の取組みや、昨今の中国の情勢等についての説明を受ける。 所長の説明によれば、大連事務所の主な業務としては、以下のとおりである。 (1)企業等への支援 ・中国の法制度、投資環境、消費市場等の情報提供や相談業務 ・中国国内の税・法・会計等の専門家の紹介 ・中国から富山県への企業誘致活動 ・中国での観光PR活動 (2)各種交流事業への支援 ・学術研究、文化スポーツ、環境協力などの分野においての情報提供や連絡調整 ・富山県内の大学等への進学を希望する方への情報提供 (3)富山ファン倶楽部への活動支援 ・富山県に滞在経験等のある中国人のネットワークを活かした交流支援 (4)事務スペースの提供 ・事務所内に県内の大学や企業等が自由に利用できるスペースを提供 また、昨今の中国の情勢として、以下の事柄が挙げられた。 (1)東日本大震災の後、日中間の貿易や企業活動、観光等において少なからぬ停滞を招いたが、遼寧省については、 もともと日本に対する印象が非常に良い土地柄もあってか、経済面での悪影響はさほど大きくならなかったこと。 (2)氷見市の「きときと寿し」が大連に進出したこと。 (3)富士重工が大連進出に向け話を進めていたが、ここにきてストップしていること。 (4)大連空港のターミナルが増築・拡張され、利便性が上がったこと。 終了後、借上げバスにて移動。大連事務所職員が見送り。出迎え・見送りのお礼として、富山のかきもちをプレゼントした。 【大連市内20:00 → 瀋陽市内 翌日1:00】

10月17日(月) 瀋陽

◎遼寧省の概要 本県と友好県省を結ぶ遼寧省は、人口約4300万人。面積は14.8万平方キロで、日本の北海道と東北地方を合わせた 面積とほぼ同じ。 省都は瀋陽であり、その人口は約780万人と中国東北地方最大の都市。大連空港からは、車で4時間超かかる。視察した 当日は日本よりも寒く、日中は晴れていたが、それでも最高気温は12度程までしか上がらなかった。 中心市街は近代化が顕著で、日本の大都市と何ら変わらない街並み。街の至る所で工事が行なわれている。朝夕を中心に交 通渋滞が非常に激しく、また路線バスも通勤客などで寿司詰め状態であった。 経済は、大連などの沿岸部を中心に外資の導入が功を奏して急成長し、GDPが10年前の約4倍にも上っており、発展が 著しい。第2次産業が中心であり、省のGDPの半分以上を占める。 もともと重工業が盛んであったが、最近は自動車・航空機産業やIT産業なども成長してきており、省の経済をけん引している。 過去の訪中団では、ほぼ毎回、遼寧省の人民代表大会を表敬しており、両県省の議会同士の友好両流を深めている。 ◎現地視察 今回の訪中において、初めての試みとして班別による現地視察を実施し、遼寧省の産業の現況について研修を行なった。 《農産物班》 【参加者】高平公嗣、宮本光明、菅沢裕明、梶敬信、井村昭彦、筱岡貞郎、吉田勉、 田畑裕明、酒井立志、石須大雄、水口清志、梅原健治、井上五三男、津田信人、 鬼原征彦、長田武志、岩田武(17名) ◆沈陽新北淺食品有限公司 視察 ○ 会社の概要 ・日中の会社が共同出資して、平成5年に設立された、食品加工会社。 ・野菜や果物の加工品、冷凍品等(約50種類)の製造、貯蔵等を行っている。製品は中国国内と日本で主に販売されている。 日本の会社では、ハウス食品と取引がある。 ・会社では、特に衛生管理を重視しており、ISO9001とHACCPの認証を得ている。 ○ 視察の概要 ・会社の敷地内の倉庫には、膨大な量の山積みになったジャガイモ、タマネギが置かれている。 ・原料となる野菜は、契約農家から仕入れているのではなく、自社の農地で栽培しているとのこと。 ・約50人の女性が、ブロッコリーの洗浄などの下処理を行っている工程を見学。 ・その後、会社からバスで約30分、その後徒歩で5分程度のところにある、会社所有のわさび農場に案内される。 ・農場は約660ヘクタール。さまざまな廃棄物がところどころ放置され、雑草が茂っており、とても農場とは思えない土地。 日本のように、きちんとした区画で、農道や用排水路が整備されている農地とはかなり違う印象。 ・わさびは、年に1回収穫。3月に種をまいて10月収穫。収穫まで3~5年かかる日本の品種とは種類が違う。かじると大変辛い。 ・会社の所有する農場は全部で10,000ヘクタール。 ・中国国内の会社への納入に当たっては、検査は2~3項目だけだが、日本企業からは約200項目の検査を求められており、比較に ならないくらい厳格。 ・会社訪問時に、富山県側から高岡銅器の紅白ダルマを贈り、会社側からは、事業を紹介するパンフレットをいただいた。 《経済観光班》 【参加者】米原蕃、山本徹、大野久芳、武田慎一、笠井和広、宮前宏司、浦田邦昭、 久保健三、石倉正樹、山内富美雄、且美公順、浅田裕二、伊勢司、村田昭、 高山和也、松田隆(16名) ◆本渓市 中国遼寧生物医薬科技産業基地 視察 本渓市は遼寧省の東部に位置し、瀋陽からは車で1時間弱のところにある。 もともと周辺地域で鉄鉱石や石炭が産出されることもあり、製鉄業が盛んであったが、近年は、生薬の原料の供給地という背景を 基礎として、医薬・バイオ産業の強化に国家レベルで取り組んでいる。基地の造成、工場等の整備は現在も着々と進められているが、 日本をはじめとした外国資本の投入が不可欠のようである。 ①中国薬都規計館 規計館では、医薬産業基地全体についてDVD映像とジオラマを用いて披露され、これまでの取組みや今後の計画等についても説明 があった。 本渓市人大の幹部も多数姿を見せるなど、市としての力の入れ様が窺えた。 また、人代幹部等との会見も行なわれ、本渓市側は、日本、とりわけ薬業の盛んな富山県の企業との資本・技術提携を強く望んでいる ようで、PRに余念がなかった。 会見の終わりに記念品の交換が行われ、富山県側からは高岡銅器の紅白ダルマ、本渓市側からは版画刷りの冊子がそれぞれ贈られた。 ②遼寧大石薬業有限公司 ドイツの企業で、主に医薬品、健康食品、化粧品などを製造している。 会社の玄関ホールにて、石分元 薫事長 による企業概要や製品等の説明が行なわれたが、衛生管理上の理由で工場内の見学はなかった。 ◆本渓市人民代表大会主催招宴 【出席者】 沈福泰(ちん ふくたい)   本渓市人大 常務委員会 副主任 杜国良(と こくりょう)   遼寧省人大 代表副巡視員 民族僑務外事委員会 委員 ヒョウ徳沛(ひょう とくはい) 本渓市人大 常務委員会 委員 にすいに馬         民族僑務外事委員会 主任委員 楊中一(よう ちゅういち)  本渓市人大 常務委員会 本渓高新技術産業開発品工作委員会 主任 随雲忠(ずい うんちゅう)  本渓市外事(僑務)弁公室 副主任 金明哲(きん めいてつ)   本渓市外事(僑務)弁公室 [沈副主任] 米原団長先生はじめ、訪中団の皆様の来訪を熱烈歓迎する。遼寧省と富山県はすでに友好県省の間柄にあるが、本渓市としても、 経済をはじめ様々な分野において富山県と交流を深めたいので、これからも末長くよろしくお願いしたい。 [米原団長] 沈副主任先生はじめ、本渓市人大幹部の皆様には、心温まる歓迎をいただき感謝する。 富山県にとって遼寧省はかけがえのない大事な友人であり、また富山県は故松村謙三先生の故郷として、先生の志を受け継いで 日中友好に積極的に取り組んでいる。 今後とも、本渓市とはあらゆる分野で交流推進に努めてまいりたい。 その後、沈副主任と米原団長で意見交換等を行ない、終始和やかな雰囲気で行なわれた。終わりに招宴に対するお礼として、 富山県側から高岡銅器の福徳ダルマをプレゼントした。 ◆本渓水洞(鍾乳洞) 視察 本渓市郊外にある観光の目玉スポット。アジア最長の地下水に湛えられた洞窟で、長さは約3キロメートルあり、ボートに乗って 見学できる。今からわずか30数年前に鍾乳洞の存在が確認され、1980年代から本格的な観光地としての開発が始まった。 《2班合流後》 ◆遼寧省人民代表大会 表敬訪問(17:10~17:40) 【出席者】 トウ志武(とう しぶ)   遼寧省人大 常務委員会 副主任 兼秘書長 李小平(り しょうへい) 遼寧省人大 常務委員会 委員(法律委員会主任委員) 高陽(こう よう)    遼寧省人大 常務委員会 委員(副秘書長) 門泉東(もん せんとう) 遼寧省人大 常務委員会 委員 孫大剛(そん だいごう) 遼寧省外事僑務弁公室 副主任 王長宏(おう ちょうこう)遼寧省農業経済委員会 副主任 杜国良(と こくりょう) 遼寧省人大 民族僑務外事委員会                                        [トウ副主任] 米原先生をはじめ訪問団の皆様には、遼寧省においでいただき、大変うれしく思う。 遼寧省と富山県は、30年弱という長期にわたって交流を深めてきた。双方の指導者の相互交流も頻繁に行なっている。 遼寧省は、中国の東北地方にあり、人口は4300万人。 この地域は、春秋が短く、夏冬が長い。いまの時期は、気温の差が激しい。 遼寧省の農業については、今年は好天のおかげで豊作となり、歴史的にも最も良い年もなりそうである。毎年の穀物生産量は、 年間300億斤(150億kg)程度だが、今年は例年を上回る約450億斤(225億kg)になる見込みである。 皆さんがこちらに来られる前に、遼寧省では第11回の中国共産党大会を開催し、遼寧省人民代表大会主任の王・ミン(王へんに民) さんが遼寧省共産党委員会の書記に当選された。王書記は去年、富山県を訪問された。 つい最近も、共産党大会のなかにおいて、遼寧省委員会が出したこれからの目標は、遼寧省のさらなる豊かな社会づくりに努力 したいというものだった。 遼寧省は、中国の社会・経済の発展の歴史のなかで大きな役割を果たしてきた。最初、国有化の経済の制度を確立したときに、 遼寧省は大いに国に貢献し、「国の長男」と呼ばれたりもした。 遼寧省は、新しい中国を設立してからすぐに新しい工業体制を整えてきた。今現在、主な業種は、薬品、石油化学、機械製造、造船、 自動車、飛行機などがあり、重工業の比重が高くなっている。 30数年前に中国は改革開放政策を実施した。それ以来、遼寧省の経済も沢山の新しい課題に直面し、ショックを受けたこともあった。 改革開放政策を実施してから、遼寧省にある国有企業のほうは新しい体制づくりに努力し、海外から資金や技術を導入したことに よって新しい活力を注ぎこみ、今現在は、遼寧省で国有企業の活躍が多くなっている。 海外からの資金の中に、日本から導入された資金は非常に多い。多くの富山県内の企業も遼寧省に進出し、順調に経営活動を 展開している。 去年末の統計によると、遼寧省のGDPは、18000億元で、1人あたりの収入は、6000ドルを超えた。また、省の財政 収入は2000億元を超えた。いま申しあげたデータは、中国の省のなかで第7位にランクされる。 今年はまだ2,3カ月残っているが、今年の遼寧省の経済状況を予測すると、今年のGDPは20000億元を超え、財政収入 も2500億元を超える見込みである。 このたび、米原先生が、議員の先生方を率いて遼寧省を訪問していただいたことは非常にうれしく思う。訪問団の方々には、 遼寧省滞在中、楽しく元気で過ごされることを願う。 [米原団長] トウ志武先生をはじめ、遼寧省の幹部の皆様には熱烈な歓迎をいただき、心から感謝申しあげる。 私は今年から当議員連盟の会長を仰せつかることとなった。 さきほど?先生が遼寧省の歴史を紹介されたが、1984年に富山県と遼寧省は姉妹県省を結んだが、それは富山県が私どもの大先輩 であり、中国と日本の懸け橋となることに政治生命を懸けられた故松村謙三先生の地元であり、その志を受け継いで、今日の深い友情 に結ばれている。 この間、政治・経済・スポーツ・文化など、心の触れ合う様々な交流を続けてきた。 私事ではあるが、84年に姉妹県省を結んだ時に、まず将来を担う青少年の交流を富山県で引き受けようということになり、70数名 の中学生をお迎えした。その時、ホテルに泊まっていただくのが普通なのかもしれないが、私は、折角だから日本の文化に触れてもら いたいということで、ホームステイを呼び掛けた。我が家にも2人の中学生を引き受けた。そのうちの1人とは、その後も交流を続け、 大学生のときにまた日本に来て勉強したいということで、富山の大学で勉強に励み、いま中国で経営者として大成功を収めている。 こういった日中両国の友好交流や経済発展に微力ながらお手伝いさせていただいたかなと大変うれしく思っている。 これからも、富山県と遼寧省の議会間の友好交流の促進も含め、様々な分野での交流をさらに深め、両県省がともに発展していける ように努めてまいりたい。 いま、富山と大連の間で直航便が飛んでいるが、このたびさらに北京まで延伸されたので、これを契機に両国の発展に大きな役割を 果たしていくものと期待している。 今回はハードスケジュールで、あれもこれも見たいと思っているのだが、それにしても中国の発展は凄まじいの一言に尽きる。 今日、経済班は本渓や鍾乳洞の視察、また農業班も企業の視察を行なうなど、大変実り多い、充実した研修をさせてもらい、うれしく 思っている。 終わりに、今年3月11日に東日本大震災が起こり、日本は未曽有の被害を被ったが、これに対し、中国政府から温かいご支援をいた だいたことに対しありがたく思う。お陰様で富山県は、災害もなく良かったと思っている。小さな日本ではあるが、特に富山県は地震 などの災害が一番少ない県である。これからも末長く、友好を深めてさらに発展していけるよう、よろしくお願いしたい。 ◆遼寧省人民代表大会主催招宴(17:45~18:45) 会見に引き続き、別室にて招宴が催され、改めて?副主任、米原団長それぞれから挨拶があった後、各テーブルにおいて相互に意見 交換を行ない、友好を深めた。 終わりに、記念品交換が行われ、富山県側からは高岡漆器の絵皿、遼寧省側からは中国将棋のセットがそれぞれ贈られた。  

10月18日(火) 瀋陽→西安

朝、空港に遼寧省人大幹部が見送りに来られる。 我々へのお土産として、書道用の毛筆5本セットが米原団長に手渡される。 【瀋陽空港8:10 →(大原空港経由)→ 西安空港11:45】 ◎西安の概要 西安は中国の内陸部に位置し、市の人口は約830万人。 かつては秦、漢、隋、唐といった中国古代王朝の都・長安として栄え、現在も世界的な観光都市として多くの観光客が訪れ、 大いに賑わいを見せている。 その一方で、経済発展は沿岸の諸都市よりも遅れをとっており、喫緊の課題となっている。それでも、所得水準は他の中国 の地域同様上昇傾向にあり、1人あたりのGDPは10年前の3倍以上となっている。 その影響からか、近年自動車の台数が急増しているようであり、街中の道路は日中常に渋滞していた。加えて、交通マナー が日本と比べて非常に悪く、車の割り込み、幅寄せは当たり前のように繰り返され、また歩行者も横断歩道でもない車道の 真ん中を平気な顔で歩くなど、日本では到底考えられない光景が頻繁に見られた。 瀋陽と同様、至る所で工事が行なわれており、街の再開発が急ピッチで進められている半面、数十年前の佇まいを残す商店 街やアパート群も多く見受けられた。 雨が少なく、車の台数も多いせいか、晴れていても外は霞んでいて、ほこりっぽい。また、雨が降った翌日(20日)の 早朝は、朝霧が立ち込め、高速道路が通行止めになるほどの視界不良に見舞われた。 ◆陝西省旅游局との会見(14:30~15:00) 【出席者】董漢青 旅游促進処副処長 陶 梅 同処職員                                      [米原団長] 本日は大変お忙しいところ、私どものためにご出席いただいたことに感謝申しあげる。 私どもの議員連盟は隔年で中国を訪問しており、今回は富山県議会議員と市町村議会議員30名で中国にやってきた。昨日まで、 本県と友好県省を締結している遼寧省を訪問し、本日西安に到着したところである。 西安は中国古代の都として栄え、現在は世界的な観光都市として大変有名である。中国の歴史や偉大な文化に触れられることを 大変楽しみにやってきた。この後、世界園芸博覧会にも視察させていただく予定である。 中国の皆さんにとって、日本の観光地といえば東京や京都を思い浮かべるだろうが、私ども富山県は大変自然の豊かな所で、 世界遺産の五箇山合掌造り集落があり、冬は雪がとても多い。3千メートル級の立山連峰という山々もある。何よりも海の幸山 の幸がとてもおいしい。是非一度来ていただきたいと思う。 2008年に元気とやま創造ということで、本県では観光振興条例を作った。県民が一体となった観光振興の推進体制をこれから 取り組んでいきたいと考えている最中である。 今日は限られた時間ではあるが、数多くの歴史遺産の保護や観光振興の取り組みなどについて、大いに参考にさせていただきたい。 [董副処長] 尊敬する米原団長様をはじめ、皆様にはようこそおいでになられた。 米原団長から、先ほど詳しく富山県についてご説明いただき、とても感動している。 私はまだ見たことはないのだが、世界遺産や豊かな自然のある富山県に、チャンスがあれば、是非行ってみたい。 日中友好富山県地方議員連盟の皆様は、長い間日中友好のために頑張っておられるが、その取組みに対し深く感謝申し上げる。 皆様の努力は日中友好に大いに役立っている。 皆様ご存知の通り、陝西省の西安市と日本との交流は、おそらく歴史的に最初の日中交流だと思っている。1500年以上前の 隋と唐の時代から両国の交流が始まった。歴史上の人物といえば、阿倍仲麻呂とか鑑真和尚がいるが、いずれの人物も日中両国 の人民が尊敬している。 ご存知の通り、西安は千年以上の歴史がある古い都である。中国文化・漢民族文化の発祥の地でもあるが、長い歴史によって 至る所に名所旧跡が残っている。また、日中両国の長い友好の歴史も記録している。皆様には、この旅を通じてあちこちを見て いただいて、中国の歴史や文化を深く理解していただけるよう希望する。 私も何回か日本に行ったことがあるが、日本にも長い歴史と文化がある。特に大和文化とかお茶の文化が深く印象に残っている。 この旅を通じてお気付きとは思うが、観光については、両国で同じ部分もあれば異なる部分もある。それをお互いに補い合いながら、 両国の観光産業を振興できるよう頑張りたいと思う。 陝西省は、面積が20.5万平方キロメートルで、北部・南部・漢中地方の3つに分けられる。陝西省には黄土高原が広がり、 北部の地下には石油、天然ガス、石炭、塩などが埋まっている。中国で最大の化学工場・エネルギー基地が楡林市にある。 漢中地方は盆地になっていて、そこには紡績、機械、航空機産業などが集中している。中国の人工衛星を作る技術の研究・ 開発は西安を中心に展開している。南部は自然が豊かで緑が多く、産業は農業が中心である。 陝西省旅游局は、人民政府の重要な部門であり、観光業を管理している。旅游製品の企画・開発が第1の仕事である。ホテルや 観光地の建設なども管理している。第2には、世界各国との友好交流の仕事がある。全世界の皆さんに陝西省の旅游製品の宣伝を 行なっている。第3の仕事は、省内の各観光地の治安管理である。来訪されるお客さんのために、サービス面の向上に頑張っている。 最近、陝西省の人民代表大会の提案により、観光業を管理するための法律ができたところである。旅游局はその法律に従って管理 している。第4の仕事は、旅行会社に対し、自由市場のルールの下に競争するよう指導している。 中国の役所の管理の仕事は、日本と比べるとおそらく多いと思う。 日本からの観光客の人数は、過去最も人数が多い時で23万人だったが、去年は18万人だった。これは外国人観光客としては 世界で2番目であり、1番はアメリカ人で21万人となっている。陝西省の観光業にとって、日本人観光客は最も大事なお客様である。 [意見交換] 中国には、世界的にも大変素晴らしい世界遺産が多く存在しており、その保護や管理、また観光資源として活かすため、その体制 や国民(住民)の意識の醸成が重要である。 会見の終わりに、今回のお礼として、陝西省側に高岡漆器の絵皿をプレゼントした。 ◆世界園芸博覧会 視察 西安市の郊外で開催中の世界園芸博覧会は、中国国内では08年の北京五輪、10年の上海万博に続く大々的なイベントとして 位置付けられている。会場は、中心部から車で45分ほどのところにあった。 博覧会園区の総面積は418ヘクタールと広大で、全体構造が「二つの環、二つの軸、5組のブロック」となっている。 「二つの環」は主環とサブ環に分けている。主環は核心展覧区で、主に室外展示園と園芸観光スポットを設置している。サブ環 は拡大区で、世界園芸博覧会村、管理センターなどのサービス関連施設を設置している。 「二つの軸」は園区内の二つの景観軸で、南北軸が主軸で、東西軸がサブ軸である。 「5組のブロック」はそれぞれ長安園、創意園、五洲園、科技園と体験園である。四つのランドマーク建築は長安塔、創意館、 自然館と広運門で、五つのテーマパークの園芸スポットは長安の花谷、カラーの終南、シルクロードの花の雨、海外風景、ハの 上の虹で、三つの特別なサービスエリアはハの上の民家、南方風景、ヨーロッパ風景である。 園内にあるパビリオンの数は108箇所。企業や大学、中国の各省のほか、世界各国からの出展もあり、日本からは北海道、 横浜、奈良から出されていた。 視察した当日は、閉幕間近(開催は10月22日まで)ということもあってか、場内は客でごった返しており、入場するだけ でも相当難儀するほどであった。しかし、日本ではさほど話題になっていなかったこともあり、日本人と思われる観光客の姿 は見受けられなかった。 ちなみに、公式HPによれば、会期中の入場者数は1500万人を超えたとのこと。 敷地が広いため、当初は場内を走るカート(ミニトレインのようなもの)に乗って見学する予定だったが、乗車待ちの客があまり に多過ぎるために断念し、近場を徒歩で散策した。また、パビリオンはどこも入館に数時間待たねばならないとのことで、見学は 外の展示物を見て回るだけとなった

10月19日(水) 西安

◆兵馬俑 視察 西安市の郊外にあり(中心部から車で1時間程度)、1974年、果樹園で井戸を掘っていた農民が、偶然、地中から兵士や馬 の像などを掘り当てたのが発見の第一歩。その後の調査で、これらは地下に眠る秦の始皇帝を守る大部隊と判明し、歴史考古学 において世界的な大発見となった。 ちなみに掘り当てたこの農民は、現在、兵馬俑博物館の名誉副館長を務める。(敷地内の土産物屋で土産を買った観光客に対し サインに応じていた) 見つかった多数の俑は、等身大の大きさであるうえ、写実的でどれ一つとして同じ表情をしたものがなく、今から2千年以上も 前(日本では弥生時代)にして、すでに非常に高度な作成技術を持ち合わせていたことが窺い知れる。 1987年には、始皇帝陵の一部として、世界文化遺産に登録された。 一説には、現在のところ発掘された俑は、全体の1割程度に過ぎないとされ、現在も発掘や調査研究が続けられている。 我々が視察をした当日は、平日にもかかわらず中国人はもちろんのこと、欧米からの観光客も大勢訪れており、世界的な観光地 として高い人気を誇っている様子であった。 ◆西の城門(西安城壁) 視察 西安の城壁は隋・唐の時代に築かれたものを基盤としたものであり、明の時代に大規模な改修が行なわれた。その後も頻繁に修繕 が繰り返されているが、規模は明代当時と変わらない。中国国内で昔の城壁が完全に残っているのはここだけである。 城壁の周囲は12km、高さは12mで、城壁の上部は幅12~14mの遊歩道として開放されていて、我々が訪れた時、城壁の 遊歩道を自転車で周回する欧米の学生たちが見受けられた。 また、西の城門は、シルクロードの起点として有名な観光スポットで、城壁の内外を見渡せる絶好のポイントとなっている。かつて は、ここから中国の絹や陶磁器が馬に乗せて西域に運ばれ、逆に西の香料や鉄器が中国にもたらされた。 ◆大慈恩寺(大雁塔) 視察 大慈恩寺は、西遊記の三蔵法師のモデルである玄奘ゆかりの寺であり、玄奘がインドから持ち帰った経典を翻訳したものがこの寺 の境内にある大雁塔に納められている。 この塔は7~8世紀に建立され、もともと10層建てであったが、その後の戦乱で一部焼失し、現在は7層となっている。 塔はレンガ積みで作られており、中に入って最上層まで登ることも可能。(我々は、時間の都合で登らなかった)

10月20日(木) 西安→北京

【西安空港8:10 →(大原空港経由)→ 西安空港11:45】 ◎北京の概要 首都である北京は、中国の政治の中心地であり、政府や共産党の機関が至る所に立ち並んでいる。一方で、商業地や娯楽スポット などはどこも近代的で、見た目は東京などとほぼ変わらない。日本でもなじみの深い企業の看板も多く見られる。 人口は1700万人を超え、街は大都市らしい賑わいを見せている。外国人観光客も多く、欧米人や日本人の姿もしばしば見られた。 4千年とも5千年ともいわれる歴史を誇るが、いまの北京の原型が造られたのは明の時代からであり、観光地として有名な故宮や 天壇、天安門のもととなった承天門も明代に創建されている。その後、清代には大都市としての形が整えられた。 所得水準の向上により自動車の台数が急増し、反面、かつての移動手段の主流であった自転車はあまり見られなくなった。道路の 交通量は尋常でなく、日中は常に渋滞に見舞われている。現地ガイドによれば、北京では車での移動は時間が読めないとのこと。 ただし交通マナーは、西安の酷さに比べればまだマシといった感じか。 ◆中日友好協会 表敬訪問(14:00~14:45) 【出席者】陳永昌 副会長 朱 丹 副処長 劉夢妍 職員 王 正 職員 米原: 我々「日中友好富山県地方議員連盟」は、日中両国の相互理解と友好親善を図るため、隔年で訪中団を派遣しており、 今回が19回目。富山県のほとんどの市町村の議員が参加しており、これほどのたくさんのメンバーは初めてではないか。それだけ 中日友好に活発に取り組んでいるということをご理解願いたい。 ご承知のように、富山県は、日中友好に生涯を捧げた故松村謙三先生の出身地であり、早くから中国との交流を積み重ねてきた。 今年は松村先生の没後40年にあたり、この節目の年に中国を訪問できたことは感慨深い。また先日は、松村先生の志を受け継ぐ、 出身地福光の顕彰会のメンバーがこちらを訪問したと聞いている。 遼寧省とは、とりわけ1984年に友好県省を締結して以来、経済、環境、スポーツ、文化など幅広い分野での交流を通じて、心の ふれあう友好親善を積み重ねている。今後一層の協力、支援をお願いしたい。 また、今年3月11日の東日本大震災では、中国政府や国民から温かいお見舞いの言葉やご支援をいただき、大変ありがたく、また 心強く感じた。 本県からの中国への航空直行便については、今年3月に大連便が北京まで延伸され、さらに今月30日からはデイリー運航が実現 する運びとなった。観光、ビジネス面で利用促進が期待され、地方都市から中国の首都北京への乗り入れは意義深い。 先般、本県の石井知事がお邪魔したかと思うが、富山県と中国の関係をより深めていくことが世界平和にも重要。今後も富山県 をよろしくお願いしたい。 陳: 日中友好議員連盟の訪中を心から歓迎する。今年春東日本大地震、津波、放射能という3重の苦痛を受けた日本国民に心から お見舞い申し上げる。勤勉で偉大な日本民族は必ずこのピンチをチャンスに変えて再建復興できる。 富山県は、日中の国交正常化前から、長い間日中友好を推進してきた。今回訪問の議員が松村先生のふるさとも含め超党派である のがうれしい。国内の政治では意見が違っても日中友好を一致して推進されており、喜ばしい。 富山県と遼寧省は、20数年前から友好提携し、以来、特に航空便が乗り入れてから多彩な交流を行っている。中沖前知事が大変 努力され、自民党航空部会や運輸省に何度も陳情し、中国にも働きかけで実現したもの。 中国の改革開放は、最初南沙地区、珠江デルタ地域、揚子江デルタ地域、上海と続き、渤海湾の天津、唐山の町が、エコシティと して発展。瀋陽は、大型機械製造業が世界レベルとなるなど、さらに大きな産業都市になっている。富山県も、戦前関西からの 疎開によって受け継がれた技術が残っているかもしれないが、先端技術が発達しており、今後ますます、人的な文化交流や産業 交流を進めていきたい。 松村先生が、40年前の8月に亡くなられた際、王国権団長、王效賢先生などが葬儀に参加した。当時の佐藤内閣といろいろ接触し、 日中友好の機運を盛り上げた。富山県の議員の皆さんにも、それぞれの町、分野で日中友好を推進してほしい。 これまでアセアン担当だった朱丹さんが、このたび新しく協会の副処長に就任したので紹介したい。 朱: 中日友好協会に入って初めて受け入れた団体が皆さんであり、富山とは縁がある。以前、中日韓地方政府交流会という会議が 平成13(2001)年に富山で行われた際、訪問したこともある。今後、仕事の面で貴重な意見をいただきたい。これからも中日友好 に尽力したい。 陳: 自治省の事務次官の二橋さんが富山出身で、中沖前知事も開催に熱心であったことから、富山での開催となった。 宮本:昨年の中日友好協会60周年の人民大会堂でのレセプションに招待いただいており、感謝申し上げる。 井村:松村先生の没後40年となるが、中日友好の精神に学ぶ気持ちは強く、今年新たに勉強会も発足する予定。協会でも語り 伝えていただければありがたい。王效賢先生にもよろしくお伝え願いたい。 米原:日本の各地域の全国的な交流の状況はどうか。 陳: 交流が活発なところとそうでないところがある。熱心なリーダーがいるかどうか、また、住民の感情も関係する。例えば、 長野県は草の根の交流が長く続いている。 日本とは、国民感情に問題が出ており、アンケート結果でも日本国民の8割が中国のことが嫌いと答え、中国国民も6割が日本 を嫌いと答えている。これは、マスコミの影響があるかもしれないが、日本と中国は隣同士という運命が決まっており、いやで も引っ越すわけにいかない。否応なしに付き合わなければならない。特に経済関係は相互依存関係となっている。政府、政策の 決定者としては、どうしたら日本の国益になるか、大きく戦略的に考えることが必要。中国も、日本を嫌う考えは間違っている。 お互い理解していく中で信頼を深めていくのが大事。近隣の韓国、中国と仲良くしないで、遠いアメリカと仲良くしてもしょうが ないのではないか。もちろん日米関係も大事だが。 宮沢喜一首相は日中・日米関係は等距離でと言ったが、私は納得できる。松村先生のような、大所高所から物事を考える政治家 が少なくなった。 米原:中日関係について、最近の日本の政治家で、思い浮かぶ人物は誰か。 陳: 今はいない。 米原:政権交代と、大臣の頻繁な交代があり、印象が深くならないのだろう。 陳: 一番短い首相が3か月で代わったりするが、根底のところで、国民同士が仲良くすれば友好関係の基礎ができる。国民同士の ウインウインの関係が大事。 米原:合併により、富山県も市町村数が35から15になったが、どの市町村も何らかの形で中国の国々と交流を行っている。中国への 進出企業も、YKKをはじめたくさんある。青少年の交流も多い。政治より経済のパートナーとしてなくてはならない関係となっている。 陳: 経済的には日中は離れられない。日本では原発が一部で再稼働ができず、電力不足で海外に拠点を移す動きもある。中国では、 原発の比率は少なく、火力が中心。新エネルギーとして風力発電が注目されており、酒泉で整備が進んでいるが、距離が遠く、 送電線の問題で、発電したものの半分が送れない現状がある。 宮本:来年の日中国交回復40年にあたり、協会として何か考えているか。 陳: 両国のムードがどうかということが重要。野田首相の考えがよく分からない。先日も、航空自衛隊の視察の際、中国と北朝鮮を 名指しで批判している。本当は、40周年は互いの国民的な交流のムードをつくるべき。 水口:地元高岡市の福岡小学校が、遼寧省遼陽県の首山鎮中心小学校と友好交流しており、私の娘も訪問させてもらい、一方で我が 家も中国から先生や生徒をホームステイとして受け入れたこともある。お邪魔した際は大変熱烈な心温まる歓迎をしてもらった。 我々も負けずに歓迎したい。 子どもたちの世界や教育の世界は、グローバルな世界をちょっと横において、子どもたち、親同士が付き合うことに喜びを感じる。 ぜひ協会としても、こうした取組みが進むよう、アドバイスいただきたい。 陳: おっしゃる通り。少年時代は、夢が一番豊かな時期であり、この時の海外訪問は大変深い印象が残る。子どもはうそをつかない。 観念的なものがなく、見たままを頭に焼き付ける。 協会でも、高校生や大学生の日本への訪問や中国への受入れを進めている。訪問した学生はみんな日本に大変良い印象を持って 帰ってくる。大多数は日中友好であり、必ずしもマスコミが報道しているような状況ではないと思う。 終わりに、記念品の交換が行われ、富山県側からは高岡漆器の絵皿、友好協会側からは陶器製のボールペンがそれぞれ贈られた。 ◆在中国日本国大使館 表敬訪問(15:40~16:25) 【出席者】山崎 和之 公使(経済部長) 多田 浩人 一等書記官 飯嶋 威夫 書記官 米原:富山県は、松村謙三先生の出身地であり、早くから中国との交流を積み重ねてきた。今年はちょうど先生の没後40年であり、 日中国交正常化の後、富山県は何らかの形で交流を進めてきた自負がある。今回各市町村の議員と一緒になって訪中した。今回の 33名の参加は、これまでで一番大きな訪中団となった。今後も中国との友好親善を進めていきたい。 山崎:丹羽大使が中国共産党の行事により本日失礼することとなった。主に経済、観光の観点から意見交換させていただきたいと いうことで、本日、経済部長の私山崎と、国交省運輸部門から出向の多田書記官、総務省から出向の飯嶋書記官(地方との交流を 担当)が出席している。 中国から日本への入り込みは、3月の震災で、一瞬(1~2週間)だがゼロになった。地震より放射能の影響。中国人にとっては、 福島から東京や富山までの距離からすると、あたかも自分の省内で原発事故が起こったくらいの怖い感覚。仕事の人は、放射線の 数値を見て安全なら日本に行くが、旅行を楽しもうという観光客はなかなかそうはならない。 しかし、ビザの発給状況は、震災前の3分の2まで戻ってきている。中国では最近日本の放射能の報道もなくなってきており、 このままでいけば元の趨勢まで戻るのではないか。 これまでの取組みとしては、沖縄に1回行くと3年間ビザなしで訪日できる制度を4月から設けた。2回目からは沖縄に行か なくてもOKで、沖縄振興と組み合わせたもの。 中国の旅行会社としては、観光客を日本へ行かせたいのであり、国家旅遊局の長官が観光業者を連れて日本に視察に行ったりしている。 もうひとつ力を入れているのは、震災後、放射能のために、日本の食材が水産物を除き事実上全面的に輸入禁止状態となっている ことの解消。第1段階として、福島から離れた地域からの出荷物は、公的な証明があれば輸出できるようしてほしいと働きかけており、 うまくいけば来週ぐらいに措置が解除されるところまできている。食品の輸出は、金額ベースで0.5%くらいと、日本全体の経済に 大きな影響はないが、食品業界にとっては死活問題であり、日本全体のイメージにとっても大きなマイナス。中国では現在、 日本の酒は密輸でない限り3月11日以前に製造されたものしか手に入らない。 米原:日本の地方都市にも中国から来てもらいたいということで、石井知事がこちらにもお願いして、富山・北京便のデイリー運航が、 10月末から実現することになったが、他県の取組みはどうか。 多田:各知事が続々と、北京や上海で、観光説明会の開催や、航空路線開設・増便に取り組んでいるが、震災後交流が減っている中で、 増便に結びついている例は少ない。富山県のケースは、努力が実ったということだろう。 山崎:北京空港は発着枠(スロット)が上限にきており、これ以上飛ばせない。これから増便を行おうとしても、どこかの路線が 止まって空きが出なければ無理。 多田:中国の航空会社が、持っている枠の中で富山路線にシフトすることをやってくれれば。中国南方航空も、スクラップ・アンド ・ビルドでそうした対応をしたのではないか。日本の航空会社は持っているスロットが少なく、対応は難しいが、中国南方航空や 中国国際航空などスロットを多く持っている会社なら期待できる。 米原:日本として、インバウンド(受入れ)をしっかりやっていくことが課題ではないか。 山崎:中国における所得水準は、賃金が平均年15%上がっている。一方、インフレ率は、最近高く政府が引き締め政策を取っているが、 現在6%くらいなので、実質9%は所得が上昇している。中産階級が家族で、近場に海外旅行してみようかな、という傾向になっている。 そうやって、5年後は人口の10%が増えるとすれば、1億3千万人。こうした人々が最初の海外旅行として日本を選んでくれれば相当 な潜在力となる。 日本に対する感情は、ミックスしたものがあり、訪問先としては、きれい、おいしい、安全といった、いいイメージがある。もちろん 歴史的には問題があり、中国では、テレビドラマで、日本で時代劇をやっているように抗日番組が多い。これを見て、特に一度も日本 人にあったことがない地方の人は、日本人を拒絶する現実もある。 しかし、今の日本人と接すると、だいたいの人は肯定的で、限界効用が高いというか、全く日本人と会ったことがないばかりに、食事 を1回でもすると、全然テレビで見るのと違う、となる。また、日本に1回でも行けば、大半の人は日本を好きになる。日中間の 交流は、(13億人もいるのでなかなか全部を網羅できないが、)不必要な緊張を解く上で、大きな意味がある。 笠井:富山県の立山・黒部アルペンルートの認知度はどうか。本当に中国からの観光の目玉になっているのか。 多田:中国人に有名なのは、「ゴールデンルート」(東京~大阪)と、映画の舞台となった北海道、きれいな海のある沖縄などで、 正直なところ、東北や北陸、中国・四国は知名度が高いとはいえない。しかし、きれいな自然や空気、水は、中国人のあこがれは強く、 立山・黒部アルペンルートは今後有望。日本の最初の訪問は東京などだが、リピーターの次の行き先として富山が選ばれることを目指す のがいいのではないか。 山崎:中国人は温泉が好きであり、温泉資源を全体のパッケージの中で取り入れるのがいいのではないか。 飯嶋:各県がそれぞれ誘客を競争しており、独自の魅力のアピールは大事だが、他方で、自治体同士がうまく協力してつながるといい のではないか。例えば、地理的に近い京都と富山を組み合わせるなど、補完し合う魅力を組み合わせるのは1つのやり方だと思う。 山崎:北海道の人気が高いのは、以前そこを舞台の映画が中国でヒットしたから。簡単なことではないが、日本でのロケを立山でやる などの便宜を図り、その映画が中国で当たれば誘客の大きな起爆剤となる。 多田:JNTO(日本政府観光局)という組織があり(本部:東京、各国に事務所)、訪日観光客の誘致を行っているが、中国の テレビ局から相談を受けることがある。そうした際に富山を紹介してもらうと効果がある。 大野:中国人にとってハードルが高いビザ発給の緩和についてはどういう状況か。一定の危険性もあると思うが。 山崎:所得制限やチェック項目数など、いろいろな面で緩和されてきている。外務省は緩和を進めようという姿勢だが、警察や入国 管理局は、不法入国者が増えることを警戒し、(中国に限らず)ビザ緩和に慎重。緩和した結果不法入国者が増えていないデータを もとに少しずつ緩和を進めている現状。政治のルートを通じて、緩和の必要性を訴えてもらうとありがたい。 菅沢:私の地元の氷見市の寿司屋さんが瀋陽に進出している話を聞いた。地方からの中国への企業進出を巡る問題点や現状はどうか。 山崎:引き続き日本からの直接投資は活発で、今年は去年に比べ1.4倍となっている。中国への進出の意思決定は通常2年くらい前に 行われており、震災の影響は入っておらず、円高も今ほどでなかった。今後1~2年で更に増える可能性はある。 中国に進出して利益を出す企業はたくさんあるが、簡単ではないと聞いている。経済界出身の丹羽大使は、利益を出すまで10年くらい かかると思った方がいいと言っている。中国は規制が多く、規制の透明度も先進国と違う。中国に、良い相棒となる会社を見つける 必要がある。自動車は、中国側が51%以上出資の合弁会社しかできない規制がある。他ではそうした規制はない業種もあるが、いい パートナーや合弁相手を見つけないと成功は難しい。しかし中国は人口も増え、市場も伸びており、うまくいけば日本でよりも、 多くの利益が期待できる。 菅沢:中日友好協会の陳副会長からは、内閣が頻繁に代わることへのとまどいや、現政権からのメッセージが届いていないとの話あり、 ちょっとショックだった。 山崎:(我々も公務員であり、立場上政治へのコメントは差し控えるべきだが、率直に言って)内閣がよく代わる影響は、中国に 限らずもちろんある。私が赴任してから外務大臣が玄葉大臣で4人目。中国の楊潔?外交部長(外相)は5年、アメリカのクリントン 国務長官は3年務めており、日本のように外相が1年で4人代わるのは、いいことではない。外交は他国との競争であり、他国が やっていることを日本がやらなければ割を食う。 菅沢:一方で、陳副会長は、地方からの交流を進めていきたいという話をされており、意を強くした。 山崎:できるだけ多くの日本人の方が、中国人と話をしてもらうことに、大きな効果がある。ぜひ地方での交流を進めてほしい。 終わりに、今回のお礼として、大使館側に富山の地酒と蒲鉾のセットをプレゼントした。

10月21日(金) 北京→富山

【北京空港10:15 →(大連空港経由)→ 富山空港15:55】 空港到着、入国手続き後、解散。