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フキノトウの苦味が好きです。

遠くから聞こえてくる春祭りの獅子舞の笛の音が好きです。

緑が輝く新緑の里山を歩きながら山菜を採ることが好きです。

自分の巻いた毛鉤にイワナが飛びつく瞬間が好きです。

ゲンジボタルのきらめく光が好きです。

白木峰の山頂で咲き乱れるニッコウキスゲが好きです。

早朝の雑木林でカブトムシを探すことが好きです。

深夜の町並みに響く胡弓の音色が好きです。

稲を刈ったあとのわらの匂いが好きです。

アケビの甘さが好きです。

赤や黄色に染まる金剛堂山の紅葉が好きです。

新雪が降り積もった森の静けさが好きです。



八尾が好きです。

自分の生まれ育ったふるさと:八尾が好きです。

自分が子供時代に体験した八尾での暮らし・遊びを自分の子供に体験させたいと思います。

イワナの釣れる渓流をいつまでも残したいと思います。

農山村の風景をいつまでも残したいと思います。

八尾の自然・文化・歴史を次の世代に残したいと思います。

自分の大好きなふるさと:越中八尾がいつまでも元気に続いてほしいと思います。



 「平成の大合併」といわれる市町村合併が行われてから4年目をむかえています。市町村合併に賛成だった人も反対だった人もそれぞれ思いがあると思います。八尾町のときより暮らしやすくなったと感じている人もいるでしょうし、反対に市町村合併により暮らしにくくなったと感じている人もいるでしょう。また、あれだけ、賛成、反対と騒いでいたのに何も変っていないと感じている人もいるでしょう。

 ここで、ひとつだけ個人的見解を言わせてもらえば、市町村合併により失ったもの、あるいは失われていこうとしているものが一つだけあると思います。それは「ふるさと八尾に対する帰属意識・愛着心・誇り」です。八尾町時代は人口23000人の小さな町。住民にとっては地方行政は身近なものであり、住民1人ひとりが「八尾はこうあるべきだ。こうなってほしい。」というような思いは少なからず持っていたのではないかと思いますが、人口40万人の富山市となった今では、行政は遠い存在となり、地域に対する思いは薄れてきたのではないでしょうか?。もちろん、合併した現在、「富山市民」として、「富山市」に対する誇り、愛着心の醸成を図っていくことは大切だとは思いますが、「ふるさと八尾」に思いを持った人々がだんだんと減っていくことは寂しいような気がします。

 一方、市町村合併があろうがなかろうが、私達を取り巻く社会経済情勢は刻々と変化しています。派遣労働、格差社会、サブプライムローン問題、少子高齢社会、後期高齢者医療、年金、福祉、消費税、原油高、穀物の値上がり、食料品の値上がり、米価の低迷、地球温暖化、膨大な国債残高、国民に目を向けていない政治・・・・・・。今、私達を取り巻く環境はいまだかつてない混沌とした状態にあり、明るい未来が見えてこない状況といえます。とりわけ、中山間地域においては、原油高・肥料高に伴う農業コストの上昇と米価の低迷、そして、後継者不足による農業の崩壊、さらに少子高齢化による「限界集落」の出現が大きな社会問題となっています。

 もちろん、いつの時代にもそれぞれ大きな社会問題が存在し、それをなんとか乗り越えてきて現在があるわけですが、今度ばかりはかなりハードルが高いような気がします。とりわけ、「限界集落」に関しては、もう何年かすれば、集落が消滅してしまうことを意味しており、今までのような取組だけでは、もう防ぎようがないような気がします。

 「地域の活性化」「地域振興」「産業振興」の名のもとに今まで行政を中心として、いろいろな取組が行われてきました。もちろん、これらの取組のおかげで今の社会が存在しているわけですが、人口40万人の大「富山市」となった今、今までのような行政による取組はなかなか期待できないような気がします。日本の社会全体が厳しい経済情勢に陥り、限られた財源による自治体運営のなかにおいて、人口の少ない地域に対しての行政投資、行政サービスは、今、はやりの費用対効果から考えれば、切捨ての対象にならざるを得ないと言えます。

 だったらどうするのか?自分達の地域を元気にするにはどうすべきなのか?答えは一つしかありません。自分達が立ち上がり、第一歩を踏み出して行動するしかありません。もちろん、皆さん一人ひとりが自分の生活を抱え、なかなか地域のために行動するにはかなりのエネルギーが必要かもしれません。しかし、今の自分の生活があるのも、個人の生活の集合体としてのコミュニティ、地域社会が存在するからこそ存続しているのであり、一人ひとりが自分のできる範囲において、地域社会の存続、活性化のために行動する時期にきているのではないでしょうか?

 こんな話をすると「時代の流れだからしょうがない」「今の自分の生活さえなんとか守れればいい」という人がいます。もちろん、人それぞれの考えは自由だから否定はしません。しかし、このような考えを持った人達にあえて問いたいことがあります。「将来、あなたの生まれ育ったふるさとが荒れ果てた無人の荒野になってもいいのでいすか?」

 私だったら、この問いに対しては「NO」です。やはり、自分の生まれ育ったふるさとがいつまでも今のように続いてほしいと願います。そして、自分の子供、孫の代になっても、このふるさとの風景が存続し、住民が生き生きと暮らしている社会が存続してほしいと思います。そして、自分の子供、孫達にも、自分と同じように、自分の好きなイワナ釣りや山菜採り、山歩きをこの地で楽しみながら生きてほしいと思います。


 今、ここに志を同じくする同士が集まり、「越中八尾ふるさとづくり協議会」を立ち上げました。みんな、この「越中八尾」が大好きな人達ばかりです。自分ひとりでできることは限られていますが、志を同じくする者同士が集まってひとつの力を結集すれば、何かが変ります。本日、第一歩を踏み出したばかりの組織ですが、「誰もが生きがいを持って生活できる町」「誰もが暮らしたくなる町」「誰もが訪れてみたくなる町」を目指して、一歩ずつ進んでいきたいと思います。


 平成20年8月6日

                                   越中八尾ふるさとづくり協議会設立準備会
                                   事務担当世話人   池 口  昌  博