期間 1983年7月8日〜8月26日
(うち徒歩横断に要した期間 7月15日〜8月19日)
出発地 根室市・納沙布岬(オホーツク海側)
到着地 北桧山町・水垂岬(日本海側)
横断ルート 納沙布岬→根室→別海→弟子屈→阿寒湖→帯広→日勝峠→日高→苫小牧
→支笏湖→洞爺湖→長万部→北桧山→水垂岬
歩いた距離 約700km
横断に要した日数 35日間
7月8日(金) 晴れ
京都・舞鶴港 → (フェリー) →
ついに出発のときがきた。昨年の秋からずっと考えていた北海道徒歩横断の夢を実現するときがきた。はたして、ほんとうにできるのだろうか?とにかく、やるしかないのです。
フェリーの中では、旭川へ帰る人と滋賀大学のバイク旅行の兄ちゃんと仲良くなり、それに大学の同級生で実家がある北海道に帰る高句君と一緒にビールを飲んだ。
見送りにサークルの仲間である後藤先輩と西胤先輩、それに後輩の弓場君と吉田君がきてくれた。どうもありがとう。
7月9日(土)
→ (フェリー) →
フェリーの中では、昨日のメンバーに富山大学の山ヤ(山登りをする人の意味)の兄ちゃんが加わり、また、酒を飲んだ。
7月10日(日)
小樽港 →(ヒッチハイク)→滝川→(ヒッチハイク)→赤平→(ヒッチハイク)→富良野→(ヒッチハイク)→新得→(ヒッチハイク)→帯広・カニの家
旅人の中では有名なカニの家(貧乏旅行者のための無料宿泊所)は想像していたよりも小さく、宿泊者も少なかった。しかし、泊まっている人達はみんなバリバリに旅をしている人達ばかりで、無職の人も多い。働いて金をため、その金で自転車やバイクで北海道を旅している人や日本一周をしている人もいる。すごく、うらやましい。
この晩は、夜中の2時くらいまでカニの家のリーダーやほかの旅人6名でカニの家の運営について話し合った。
7月11日(月)
カニの家で停滞
リーダーや他の宿泊者の引きとめ工作のおかげで今日は連泊。午後は自転車で日本1周をしている人と公園でビールを飲みながら、旅について話し合った。彼は今の世の中を変えるために、一人で自転車で日本一周をしていると言っていた。彼は俺と同じ年齢であるが、すごく考えがしっかりしている。それに比べて俺はどうであろうか。俺はあまりにもいい加減で軟弱だ。
7月12日(火) 曇り
カニの家→(ヒッチハイク)→池田ワイン城→(ヒッチハイク)→足寄
午前中、カニの家の運営を世話している喫茶店「さんのう」のマスターといろいろと話をした。マスターも旅のベテランで、彼は自分というものを自分でつかみとり、旅をするときは好奇心のかたまりで旅をしている。彼にはいろいろと教えてもらった。
カニの家を出発してヒッチでひたすら東に向かう。サイト地は足寄町の畑の横の農道の橋の下。今回はじめてツエルトテントを張る。やっぱりツエルトはやばい。今日は雨が降らないからいいが、雨が降ったら、一発で終わりという感じである。
7月13日(水) 曇りのち雨
足寄→(ヒッチハイク)→阿寒湖→(ヒッチハイク)→釧路
途中で福井県からリヤカーを引いて旅している人に会った。リヤカーで旅している人がいるという噂は以前聞いていたが、実際に会ってみるとなかなか感動ものである。俺も早く徒歩の旅をしたい。
今日は釧路駅で北海道教育大学の人と知り合い、駅で知り合ったサイクリストと二人で彼の下宿に泊めてもらうことになった。旅をしていて地元の人に親切を受けるととてもうれしい。これからもいい旅ができそうだ。
7月14日(木) 曇り
釧路→(ヒッチハイク)→根室
今日は手もあげていないのに車に乗せてもらい、たいへんラッキーだった。おまけにとてもやさしい人で、ジュースを奢ってもらったほか、タバコも5箱いただいた。
さて、根室まで来たら、めちゃくちゃ寒い。まるで冬のようだ。セーターを着ていても寒くてたまらない。地元の人に聞いたら、夏なのにこんなに寒いのは今年がはじめてだそうだ。いったい、どうなっているのだろう。
今日は根室駅で信州大学のライダーと富山大学のライダーと知り合いになり、富山大学の人には珈琲を奢ってもらった。ありがとう。
根室市内の公園でテントを張っていると、一匹の子犬がやってきてさびしそうに食い物をねだる。缶詰の残りを少しやったら、なかなかテントを離れず、困ったものである。
7月15日(金) 晴れ
根室→(ヒッチハイク)→納沙布岬→(徒歩)→根室(22km)
つに北海道徒歩横断の旅が始まった。初日の今日は天気もよく、最高の気分。広がる牧場や湿原、海の景色が最高だった。歩いている途中で、釧路で一緒だったサイクリストと出会い、夜は根室の公園で一緒にテントサイト。テントの中でビールを飲みながら語り合い、楽しい夜を過ごした。
7月16日(土) 曇り時々雨
根室 → 厚岸(28km)
もうメチャクチャだるい。天気は悪いし、足も痛くてもういやになる。ガスがかかっていて景色もさっぱり見えず、全然おもしろくない。本当は厚岸駅まで歩くつもりだったが、4km手前でダウン。道端にテントを張って、今、一服したところだ。やっぱり歩くことは辛い。自転車やバイクがうらやましい。でも、この徒歩横断をやり遂げれたならば、俺はきっと自分に自信がつき、一回り大きな人間になれるような気がする。
がんばります。
PS 根室でインスタントラーメンを買ったら、店のおばさんがお菓子をくれた。どうもありがとう。
7月17日(日) 晴れ
厚岸 → 別海(23km)
今日は天気が良くて気分はよかったが、暑さにはまいった。昨日みたいに寒いよりもいいけど、やっぱり暑すぎるのも歩きにとっては辛い。さて、今日は帯広のカニの家で一緒だっサイクリストと偶然出会い、再会を喜び合った。彼の話によれば、あのときのカニの家の連泊メンバーはかなり長くカニの家に留まったいたそうだ。一緒にひきずりこまれなくてよかった。また、途中で別のサイクリストと出会い、お互いフライフィッシングをするので話があい、ずっと語り合った。やっぱり、旅の良さは人との出会いだなあとつくづく感じさせられる一日だった。
さらに、テントを張った別海町でも地元の小学生と仲が良くなり、銭湯に案内してもらったり、一緒に祭りに行ったり、楽しい夜を過ごすことができた。さあ、明日は西春別までの22kmがんばるぞ!
PS 今日、若い女性(かなりかわいかった!)に車に乗っていかないかと誘われたが、断った。いままでヒッチハイクをしていて若い女性に乗せてもらったことが一度もないというのに、こういう歩く旅をしているときに限って誘いがあるなんて・・・・・・ついていないなあ!
7月18日(月) 晴れのち雨
別海 → 西春別(26km)
夕方、雷が鳴り、夕立が降ってきたので、お店にはいり、店のおばさんに屋根のあるバス停がないかとたずねていたら、ちょうどお店にきていた農家のおじさんが泊めてくれるというので、一晩やっかいになることにした。おじさんの家は酪農をやっていて、北海道の酪農家ならでのはミルク鍋(クリームシチューを薄くしたような鍋)などをごちそうになった。また、その家の子供たち(小学生)との仲良くなり、楽しい夜を過ごすことができた。酪農をやっていて仕事も忙しいのに、俺みたいな汚い旅人を泊めてくれるなんて、ほんとうに親切な人である。やっぱり、旅をしていてよかったなあ。人間は一人では生きられないとつくづく実感させられたうれしい一日だった。
7月19日(火) 曇り時々雨
西春別 → 虹別(14km)
今日はかなり疲れがたまっていて、弟子屈まで歩けそうもなく、雨も降ると予想できたので、虹別のバス停で泊まることにし、北海道に来てはじめてのフライフィッシングに挑戦した。1回目は歩いている道の途中の川でやったのだが、一匹も釣れなかった。二回目は虹別でやり、14cmくらいのヤマメを一匹釣ることができた。最初はなかなかあわせることができなかったが、ヤマメが勝手にあわせてくれ、ついに北海道ではじめてのヤマメを釣ることができた。やっぱり、自分で巻いた毛鉤で釣れるとうれしいものである。明日もがんばって釣りをしよう。
ところで、今日は早いうちに目的地に到着してしまったので、無性にひまである。ずっと歩いていたほうがいいのだろうか。
歩く・・・・・いやだ。車に乗りたい!
ほんとうに歩くことはばからしい。
車やバイクは俺をどんどん追い越して消えていく。
それなのに、歩いている俺はまっすぐな道をまるでカタツムリのようにのろのろ歩いている。
いったい歩いたところで何の得があるのだろうか?
せめて自転車でもいいからほしい。俺は時間を無駄にしているだけだ。俺はほんとうの馬鹿だ。
でも、馬鹿は馬鹿なりに馬鹿なことをして生きていくしかないんだ。
まあいいさ。明日は明日の風が吹く。
7月20日(水) 晴れ
虹別 → 弟子屈(20km)
悩んだ結果、つに思い切って民宿に泊まることにした。一泊二食で4,200円。貧乏旅行者には非常に辛い金額であるが、なんだか風呂に入ってやわらかい布団で眠りたかったので、思い切ったのである。しかし、その民宿は料理も今ひとつで、なんだか非常に損したような気がする。
7月21日(木) 雨
弟子屈 → 摩周湖 → 弟子屈 → 奥春別(27km)
今日は、横断ルートからはずれて、わざわざ摩周湖に行ってきたが、途中から雨が降ってくるし、摩周湖についてもガスがかかっていて、湖が見えたのはほんの30秒くらい。そして、まわりは観光客だらけ。全然おもしろくなかった。やっぱり観光地はいやだ。人ばかりで、わざわざ人を見に行ったようなものである。やはり、俺は人の全然いない自分だけの秘境・絶景を見たいのである。
弟子屈から西をめざして雨の中を歩いたが、とても寒く、テントを張る気もしないので、牧場の横にある排水溝の土管の中で寝ることにした。いつ濁流が流れてくるかわからなく非常に不安で、むなしさもこみあげてくる。やっぱり、昨日、民宿に泊まるという贅沢をした罰なのであろうか。
7月22日(金) 曇りのち晴れ
奥春別 → 阿寒湖(34km)
今日はけっこう長距離を歩いたが、足が慣れてきたせいか、わりと快調であった。途中、何台もの車に乗っていかないかと誘われたが、全部断った。なんだか非常に申し訳ない気もするが、俺は歩くと決めた以上、人の好意を裏切ることになっても、しかたがないのである。
さて、今日、歩いたコースは観光メインルートらしく、観光バスや車が多い。双湖台にもかなりの数の観光客がいた。みんなグループで楽しそうにしているが、はたして、あれでほんとうの旅といえるのだろうか。観光地を点から点で移動しただけで旅といえるのだろうか。やっぱり、ほんとうの旅は自分で汗を流し、地元の人とふれあい、いろいろな旅人と出会い、そして、孤独を知ることが本当の旅といえるのではないだろうか。俺は今の自分の旅に満足している。
今日は、阿寒湖キャンプ場で横浜からの旅行者とサイクリストと親しくなり、有意義な夜を過ごせた。
明日は、洗濯でもして、ゆっくり過ごそう!
7月23日(土) 晴れのち雨
休養日の停滞&釣り
今日は午前中は洗濯、午後からは太郎湖まで釣りに行ってきた。今日になってフライロッドの穂先を失くしたことに気づき、非常に後悔している。たぶん、弟子屈で釣りをしたときに忘れきたのだろう。まあ、いいや。
さて、今日は洗濯をしたので、非常に爽快な気分。洗い物も8割は乾き、明日から着るものの心配はいらないだろう。
夜は昨日出会った旅人2人と一緒にビールを飲み、夜を過ごす。酒の勢いで、みやげ物屋の客引きを手伝い、久しぶりに若い女の子を会話をすることができ、ハッピーな気分。偶然にも富山から観光に来ている女の子とも出会え、ふるさとの話で盛り上がった。
7月24日(日) 曇り一時雨
阿寒湖 → オンネトー(14km)
お昼頃、阿寒湖を出発し、1時間くらい歩いていたら、突然、強い雨が降ってきて、雨具を着ても全身びしょぬれ。もう、たまらなく悲惨であった。ただ、救いだったのは、一時的な雨で、そのあとは雨も上がり、太陽も顔をのぞかせ、その後は順調に歩くことができた。
さて、オンネトーは北海道を旅する者の間で美しいと評判なだけあって、さすがに今までみたことがないような美しい湖である。濃い緑色をした湖面に阿寒富士の姿を映している風景はなかなかすばらしいものである。こんな美しいところは、明日もう1日停滞して、ゆっくりと楽しもう。
オンネトーのキャンプ場では、サイクリストとライダーと仲良くなり、一緒に夜を過ごす。さらに、ファミリーキャンプに来ていた地元の人に、食事(ジンギスカン、ホッケ塩焼き、おにぎりなど)を分けてもらい、久しぶりに力いっぱい食べることができた。どうもありがとう。
7月25日(月) 曇りときどき晴れ
オンネトー → 雌阿寒岳 → オンネトー(8km)
久しぶりに山に登る。やっぱり、山はいい。広がる視界、遠くに見える阿寒湖、オンネトー、そして、目の前の阿寒富士。とても、すばらしい風景だ。ただ、残念だったのは、登るときに、200人くらいの小学生の団体登山客がいて、なかなか道をゆずってもらえず、かなりスローペースで歩かなければならず、途中で追い越したが、そのとき、ペースが乱れ、めちゃくちゃな山歩きとなったことだ。
さて、今日もまた、昨日のファミリーキャンプの家族に、スイカやサラダなどをもらい、満腹な朝食をとることができた。
明日はできれば足寄まで行きたい。50km近くあるが、無理をすればなんとかならないだろうか。
7月26日(火) 曇り
オンネトー → 上足寄(23km)
足寄まで行こうと思っていたが、ここ4日間長い距離を歩いていないせいか足が痛く、ついに挫折して、途中の橋の下でサイト。まあ、別に急ぎの旅ではないのだから、ゆっくりと歩こう。これまでのペース(1日平均25km)で行っても8月20日前には、日本海の夕日を見ることができるだろう。
なんだか久しぶりに一人でサイトする。ここんとキャンプ場ばかりでいろいろな旅人と知り合い、寂しくなかった。今日はまったく一人だ。でも、俺はなんともない。もともと一人なんだから。友人の平野君が、一人旅をすると人ばかり求めるようになると言っていたが、別にそれは悪いことだろうか。確かに俺もその傾向は強くなってきてるが、そればかりでもない。一人のときもあれば、仲間と一緒に過ごすときもある。いろいろなときがあってこそ一人旅なのではないだろうか。
さて、この季節、北海道には旅人が多い。特にバイクで旅する人が多い。別に非難する訳ではないが、あれでは何の苦労も汗もない旅ではないだろうか。若いうちはもっと苦労して旅をするべきではないだろうか。でも、バイクの旅人はバイクが好きなのだからしかたがないか。
7月27日(水) 曇り時々雨
上足寄 → 足寄(25km)
ほぼ順調に歩くことができた。今日は、この前、足寄に寄ったときに入った食堂へまた食べに行くと、食堂のお客さんのおじさんに酒をごちそうになった。けっこう、いろいろと酒を飲みながら話をして楽しむことができた。
さて、今日の宿泊場所は松山千春の家の前においてある休憩用の廃車になったバスの中である。
7月28日(木) 曇り時々霧雨
足寄 → 士幌(32km)
今日は無人駅で寝ることにする。駅といっても、バス停みたいなもの。正面の囲いはなく、両側にも窓ガラスがはいっておらず、風が入るととても寒い。でも、まあ、なんとか眠ることはできるだろう。
さて、明日はいよいよ帯広である。久しぶりにカニの家に行くことができる。もう、この前いた旅人達はいないだろうが、リーダーやマスターとまた会うことができる。とにかく、早く行って、落ち着きたい。カニの家では2泊しよう。
7月29日(金) 曇り
足寄 → 帯広(32km)
久しぶりにカニの家へ行く。知っている人は誰もいなかったが、また、新しい旅人と仲がよくなり、楽しく過ごす。やっぱり、カニの家に来るとほっとする。今日はカニの家では、コンサートがあり、500円も取られたが、けっこう盛り上がっておもしろかった。ただ、前回来た時と違って、めちゃくちゃ人が多い。
7月30日(土) 曇り時々雨
休養日・定着
洗濯をしたのみ。
7月31日(日) 曇り時々雨
休養日・定着
ほとんど何もせず、怠惰な生活。定着組の旅人はけっこうおもしろい人が多いので、退屈はしない。
夜はコンサートに参加せず、帯広駅で仲間と焼酎を酌み交わす。まあ、そのほうが楽しい。
今日、イトーヨーカ堂で買い物をしていたら、この前カニの家に泊まったときに一緒だったおやじさんに偶然出会い、ビールをごちそうになった。
話は変るが、カニの家でのコンサートはやめたほうがいいのではないか、みんな宿泊料がタダと思ってカニの家に来るのに、そこでお金をとるのはよくないのではないか。これでは、一泊500円の宿になってしまう。やめだほうがいい。
8月1日(月) 晴れ 夕方から雨
帯広 → 羽帯(25km)
もうメチャクチャ疲れた。足は前に出ないし、肩は痛いし、暑くてたまらない。久しぶりに青い空と太陽をみれてうれしかったけど、やっぱり歩くにはしんどい。でも、これは帯広で3日間も何もせず、暮らしていたから、歩きに慣れた足がもとに戻ってしまったからなのかもしれない。
今日は久しぶりに一人で寝る。やっぱり一人は寂しい。しかし、旅は元来、寂しいものであるのだからやむを得ない。明日からは、難関の日勝峠超えが待っている。これを超えればだいたい全行程の半分を終えたことになる。
がんばります。
たまには、畳の部屋で熱い珈琲を飲みながら
のんびりとテレビを見たい
そして、柔らかい布団の上でぐっすりと眠りたい
だけど、それは旅人には無理な話
いつも駅や公園の冷たいベンチの上で
寒さに震えながら、明日のことを考えて眠っている
ああ〜!早く帰りたい
8月2日(火) 曇り
羽帯 → 日勝峠の手前(12km)
昨夜、駅で寝ていたら、夜中の2時頃、顔をなにか変な虫(クモか?)に刺され、もう痛くて痛くて眠れない。その痛みは朝まで続き、清水町までなんとか歩いて、薬局で薬を買って塗ったら、痛みがおさまった。そのせいで、今日はたったの12kmしか歩くことができなかった。しかし、一人旅をしていて、昨夜みたいなことがあるとほんとうに不安である。
痛くでも手当をしてくれる人もいないし、愚痴を聞いてくれる人もいない。もし、あれがマムシとかムカデに咬まれていたら、たいへんなことになっていただろう。今まで一人で旅をしたり、山に登ったりしてきたが、こんなことははじめてである。一人旅の自己責任の深さと慎重さをつくづく感じた一日であった。
どうも最近あせっているんじゃないか
もう少し余裕を持って気楽な旅にしたい
急いだところで、その道は逃げはしない
もっと自然や人との出会いを楽しみたいものだ
どうせ、暇なんだから
自由に気楽に歩いていこう
途中で知り合った新倉さんからのメッセージ
・気楽にやれ
・自分に自信を持て
・いつも笑顔で行動
・見栄や外聞を捨てろ
・自分のチャンスをものにしろ
8月3日(水) 曇り
日勝峠の手前→日勝峠→3時間歩いたところ(26km)
日勝峠からはガスがかかっていて十勝平野はまったく見えず、残念。今日は砂利道が多かったため、ほこりまみれになり、かなり悲惨な状況。ああ、風呂に入りたい。体じゅうが汗臭くて、かゆい。明日は絶対に風呂に入るぞ。
プラン1 「全国旅人の宿」構想
全国の民家(部屋があまっている民家、一人暮らしの老人宅など)に委託し、旅人を安い料金で宿泊させることができないだろうか。
8月4日(木) 快晴
日勝峠から3時間歩いたところ → 日高町(24km)
今日は久しぶりに青空が広がり、涼しい風も吹いてとても快適な一日であった。夏らしいにおいもして、とても気持ちよく歩くことができた。
お昼頃、日高町の少年と仲良くなり、一緒に釣りをしたり、キャンプ場まで案内してもらったりして、楽しい一日を過ごすことができた。
さて、このキャンプ場はとてもきれいで、気持ちのいいキャンプ場だ。こんないいところはもう一泊しよう。明日は休養日だ。
8月5日(金) 快晴
休養日・定着
今日はとても暑く、ほんとうに夏らしい一日だった。午前中は東洋大学の山ヤの兄ちゃんとだらだら一緒に過ごし、午後から水浴びをしたり、読書したりして、ぼけーと一日を過ごした。
隣でキャンプをしているグループからイカをいただいた。どうもありがとう。
8月6日(土) 快晴
日高町 → ホロケシ(28km)
もう死ぬほど暑かった。思わず、日射病になるかと思った。もう、アツイ。死ぬ。
はじめて、キタキツネとエゾシカを見た。
8月7日(日) 快晴
ホロケシ → 富川(31km)
アツイ。アツイ。アツイ。暑い。あつい。今日も力いっぱい暑かった。二風谷のアイヌ民芸店のおばさんにアイスコーピーをごちそうになった。二風谷のアイヌコタンは阿寒湖のアイヌコタンより派手さがなく、とても雰囲気が良かった。
宿泊地のキャンプ場:ケンタッキーファームに期待していたが、思っていたよりよくなかった。サイト料がテント1張りにつき2000円もする。思わず、お金を払わず、こっそりとテントを張って一晩過ごした。
8月8日(月) 晴れ
富川 → 浜厚真(27km)
今日も暑かったが、昨日ほどではなかった。それより、国道235号線は、車の通行量が多く、どっと疲れてしまった。そのため、苫小牧まで行くのをやめ、途中の海辺でテントを張り、海でしばらく泳いだ。この暑さの中、海で泳ぐのは最高の気分だった。
ところで、今日は旅に出てちょうど1ヶ月目である。ほんとうに早いものだ。最近、多少、旅の疲れはでてきたが、まだまだがんばれる。日本海には8月17日頃に着くと思う。あと10日、気合を入れてがんばりたい。
8月9日(火) くもり
浜厚真 → 苫小牧 (22km)
今日は北海道徒歩縦断の旅人と出会った。彼は何回かに分けて日本列島を縦断する計画だという。すごいなあとつくづく思う。俺にはそんなパワーは出てこない。でも、もし、日本列島徒歩縦断に挑戦するならば、1回でやりたいなあ。でも、その場合、大学を休学するか、就職をせずヒッピーになるかしなければできないだろうなあ。
さて、苫小牧駅で、以前、オンネトーで一緒だったサイクリストと偶然再会。不思議な出会いだなあとつくづく感じた。
8月10日(水) くもり
苫小牧 → 支笏湖(20km)
今日で北海道に上陸してちょうど1ヶ月目。ほんとうにあっという間に1ヶ月が過ぎてしまったような気がする。この1ヶ月間に、いろいろな人達と出会い、そして、いろいろな思い出もできた。横断の旅もあと1週間で終わりそうだ。がんばらなければ!
さて、この支笏湖モラトップキャンプ場は地元のファミリーキャンプでいっぱいである。家族連れ、高校生男女のキャンプなど。・・・・ほんとうにうらやましい限りである。旅人のキャンプも少しはいるけど、バイクの人ばかりで今ひとつ会話をかわす気になれない。なんだか、孤独を感じる。一人でビールを飲んでもあまりうまくない。一度でもいいから楽しむためのキャンプというものをやってみたいものだ。高校のとき、山岳部に入部して以来、キャンプというのは、お金をうかすための手段であって、楽しむためのものではなかったからなあ。一度でいいから、女の子連れのルンルンキャンプをしてみたい。
8月11日(木) 晴れ
定着
昨夜は隣の高校生グループが騒がしくて、12時頃にやっと眠ることができたが、朝方、激しい雨が降ってきて、目を覚ます。激しい雨とともに、次第にテントの中は水浸しとなり、ついに近くの一泊250円の民宿に逃げ込む。民宿ではバイクの兄ちゃん2人と仲良くなり、午後からは天気も回復し、バイクに乗せてもらって温泉に行ったり、なぜか男二人でボートに乗ったりして過ごした。二人とも会社をやめてバイクで日本一周をしている人で、なかなか鋭かった。
8月12日(金) 晴れ
支笏湖 → 樽前山(7合目まで車) → 支笏湖 → 美笛(15km)
昨日、民宿で知り合った北海道大学の教授に誘われて、一緒に樽前山に登ってきた。登るといっても、7合目までは車で移動し、じっさいに歩くのは40分くらい。でも、天気も最高でとてもいい気分転換になった。やっぱり、山はいい。山登りから帰ってから、民宿のおばさんにおにぎりを作ってもらい元気に出発。途中、砂利道が多く、ほこりをかけられっぱなしで、最悪だった。
とにかく、支笏湖は非常にいいところだった。民宿のおばさんをはじめ、いい人ばかりに出会ったような気がする。
8月13日(土) 快晴
美笛 → バンケイ温泉(30km)
今日は久しぶりに無人駅で寝ることにする。ここの駅は、この前、虫に刺された無人駅と違ってきれいでしっかりしている。
久しぶりに温泉に入って生き返った。駅で見知らぬおじさんにコーラをおごってもらう。ありがとう。
もう眠い。明日は早く起きよう。明日は虻田町まで。それじゃおやすみなさい。
8月14日(日) 晴れ
バンケイ温泉 → 洞爺湖(12km)
キャンプ場でバイクの旅人、チャリンコの旅人と一緒に酒を飲む。洞爺湖は思っていたよりきれいだった。
8月15日(月)晴れのち くもり
洞爺湖 → 大岸(24km)
朝、、となりでファミリーキャンプをしているグループに朝食をごちそうになる。
とても、だるい。暑い。
8月16日(火) くもりのち雨
大岸 → 長万部(34km)
台風の影響で風が強い。長万部駅では、自分一人だと思っていたが、けっこう、バイクや自転車の人がいて、寂しくない夜を過ごせた。
8月17日(水) くもりのち雨
長万部 → 花石(31km)
道端でサイト。今頃になって足が非常に痛み出した。とても、だるい。雨が降っているので、テントの中が水浸しだ。
8月18日(木) くもり
花石 → 北桧山(31km)
いよいよ横断が目の前にせまってきた。とうとう明日である。考えてみれば、なんだかあっという間に来てしまったような気がする。北海道も案外狭いもんだなあ。しかし、台風に接近しているらしく、強い風が吹き、雨もパラパラ降っている。明日は晴れてくるだろうか。せっかくなら、快晴の日に日本海に沈む夕陽を見てみたものだ。まあ、とにかく、明日だ。最後の最後まで力いっぱいがんばるぞ!
今、自分の回りの世界に嫌気がさしたらなら、
ザックひとつ背負って旅に出よう
きっと何か新しいものに出会えるだろう
そのとき、今まで違った自分に出会えるだろう
今、自分という存在がなくなりかけているなら、
ザックひとつ背負って旅に出よう
きっと新しい何かに出会えるだろう
そのとき、新しい人生に気づくだろう
8月19日(金) 雨のちくもり
北桧山 → 水垂岬(目的地) → ウドマリキャンプ場(14km)
とうとう目的地に着いた。物凄い感動。ついにやったのである。思えば、長かったような短かったような。
今日は、午前中、雨が降っているうえに、昨夜は蚊のためにほとんど眠ることができなかったため、民宿にでも泊まろうかと思っていた。しかし、午後から雨が上がったので、思い切って出発したのである。
ほんとうによかった。台風の影響で荒れ狂う海。そして、真っ赤な夕陽が沈もうとしている。この北海道徒歩横断の旅がついに終わった。昨年の夏からずっと考えていたことがついに実現したのである。やっぱり、実行してよかった。この旅でわかったことは、どんなことでもやろうと思えば何でもできるということである。何もしないで愚痴ばかりこぼしていても何もできないし、進歩もないのである。この旅で俺自身が大きく変ったかどうかわからないけど、ほんの少し変ったような気がする。俺の本当の旅、人生の旅はこれから始まるのだ。
さあ、人生です。どうしますか。
これからもいろんなことがあると思うけど、ひとつのことを成し遂げたという自信を持って、ひたむきに生きたい
この旅で俺を勇気づけてくれた人、世話になった人、旅の仲間たち、みんなありがとう。
人間は一人では生きていけないんだなあ。
8月20日(土) くもり
休養日・定着
朝8時ごろまで寝て、のんびりと過ごした。近くの川でヤマメ2匹を釣り、そのうち1匹は昼食のおかずとなった。
8月21日(日) くもりのち雨
ウドマリキャンプ場 →(ヒッチハイク)→北桧山→(ヒッチハイク)→雷電キャンプ場
久しぶりにヒッチハイクをする。やっっぱり車はいいね。車に乗せてくれた人から2000円ももらった。こんなことをしてもらっていいのだろうか。とにかく、心からありがとう。
8月22日(月)
雷電キャンプ場 → (ヒッチハイク) → 仁木町(友人宅)
8月23日(火)
仁木町(友人宅) →(ヒッチハイク)→(鉄道)→札幌(友人宅)
8月24日(水)
札幌・停滞
8月25日(木)
札幌(友人宅)→(鉄道)→小樽→ → (フェリー) →
8月26日(金)
→(フェリー)→新潟→(鉄道)→富山
8月27日(土)
(自宅にて)
自宅ではじめてゆっくりと過ごす。昨日、夜7時30分頃、やっと自宅に着き、北海道の旅は終わった。8月22日以降は大学の友人の高句君の自宅と今年の3月に西表島で知り合った納谷君の自宅に泊めてもらい、ずいぶんとごちそうになった。どうも、ありがとう。
さて、今回の旅は俺にとってどうだったのか。はっきり言って、俺の人生にとってはずいぶんプラスになったと思う。北海道を自分の力だけで歩き通したという自信、そして、今まで以上に人との出会いがあった。充分、納得のいく旅だったと思う。だが、この経験をこれからの人生にどういかしていけるかが問題である。どうやっていけばいいのかまだわからないが、今までとは違った感じで力いっぱい生きていきたい。
さらば、北海道!来年まで待っておくれ!
旅の途中で出会った旅人たちよ、また、どこかで会おう!


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