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九州最南端・佐多岬から富山県八尾町まで歩き通した旅の記録
期 間     1986年2月4日〜3月14日
           (徒歩の期間   2月6日〜3月14日)

主なルート  鹿児島・佐多→宮崎市→別府市→北九州市→下関市→広島市→倉敷市→姫路市
            →丹波篠山→京都市→敦賀市→福井市→金沢市→小矢部市→八尾町

徒歩に要した日数    36日間

歩いた距離          約1400km

旅日記
2月4日(火)
京都 → 梅田 → 大阪南港 → (フェリー)→

 久しぶりの旅。はたして、京都まで歩けるだろうか?引越し、試験とあわただしい中での出発。かつての北海道徒歩横断の時ほどの気合いは入っていない。なんとなく、出発してきたような気がする。しかし、考えてみれば、今回の旅は今までのの旅の中で一番厳しく、一番重要な旅である。あと2ヶ月もすれば、俺はいよいよ学生という身分を離れて社会人となる。4月からは今まで以上の厳しい世界が待っているだろう。そのためには、俺はもう一度自分自身をみつめ、自分を鍛え直さなければならない。 昨年、ネパールから帰国して以来、どうも軟弱になり、パワーが失せている。もう一度、熱いパワーを蘇らせ、熱い汗を力いっぱい流してみたい。そして、今回の旅を学生時代の一つのケジメとして、4月からはしっかりとした社会人になりたい。

 今日、フェリーの中で知り合ったおじさんに夕食をおごってもらう。こうして、見知らぬ他人からおごってもらうのも、これが最後の機会となるだろう。いつになっても、他人の親切はうれしいものだ。俺もこれからは見知らぬ人に素直な気持ちで親切ができる人間になりたものだ。

 今日、友人の折田に見送られ、京都を離れた。バスの中からいつも見慣れた風景がなぜか新鮮に思えた。俺の青春の街・京都、京都での生活は俺の人生の中でずっと輝かしいページであり続けるだろう。

2月5日(水)
志布志 →(バス)→ ヒシダ →(鉄道)→大隈高須→(ヒッチハイク)→根占 → (バス)→ 佐多

 今日は全くついていない。無事、フェリーが志布志に着いて、気合いを入れてヒッチを試みたが、まったくダメ。2時間くらい歩いて挫折し、電車を利用。高須からヒッチをしたが、短距離の2発のみ。結局、バスを使い佐多まで。もう、早くも足にマメができはじめた。はたして、ほんとうに歩けるのだろうか?なんだか、全然気合が入らない。よその土地に来たのに、感動がない。それに、道端で一人でテントを張っていることが非常に寂しい。どうも、昔みたいに一人で旅することがうれしくない。なんだか、、寂しいだけだ。まだ、歩き始めていないのに〜!最初からこんな気持ちになるなんて、どうも途中で挫折しそうだ。でも、ここで挫折したら、俺は一生ダメになるだろう。とにかく、力の限り、やれるだけやってみるのだ。それで、卒業式に間に合わなければ仕方がない。とにかく、体力的により精神的に挫折するのが一番怖い。
 明日から気合いを入れて歩くぞ!

2月6日(木) くもりのち晴れ
佐多 →(バス)→ 大泊(佐多岬有料道路入り口ゲート) → 佐多 → 根占町(25km)

 ヒッチするパワーがないので、30分ほど歩いてバスを利用。大泊から佐多岬有料道路を通ろうと思ったが、噂通り徒歩禁止ということで通してくれない。しかたがないので、ゲートを出発点として、徒歩の旅を開始。最初のうちは調子が良かったが、だんだんと足が痛み始め、後半はもうクタクタ。もう、死にそうだ。ほんとうに京都まで歩けるのだろうか?たったこれだけしか歩いていないのに!心配だ。しかし、徒歩の旅はヒッチの旅と違って気を使わなくても済むので、その点は楽だ。ただ歩くだけなのだから。
 まあ、明日からもがんばるぞ!1日30km以上!

2月7日(金) 晴れ
根占町 → 大根占 → 高須 → 鹿屋 → 高山(35km)

 いったいなんで俺はこんなに苦しい思いをして歩かなければならないのか?足の裏はマメだらけでジンジンと痛むし、足首やふくらはぎも死ぬほど痛い。こんな旅にでさえしなければ、今頃は、京都でみんなと一緒に毎晩酒を飲んで騒いでいるか、あるいは暖かいコタツにもぐりこんでテレビを見ながら幸せな気分に浸っているか・・・きっと、今よりずっと幸福に違いない。足は痛いし、夜は寒いし、毎晩一人で寂しいし、まったく苦行だ。こんなことになるのなら、ゼミの連中とゼミ旅行に行くべきだった。あるいは、もう少しお金をためて、台湾か韓国に行くべきだった。そのほうがよっぽど楽しいだろう。それとも、九重に行って山に登るとか、サークルの連中とクロスカントリースキーに行くとか。
  あぁー!もうイヤだ!
  なんとかしてくれ!
  何がバレンタインデーじゃ!
  くそー!
  わしは馬鹿か?
  こんなことをして何の得があるのだ!
  最後の春休みなんだから、もっと楽しいことをしるべきだ!

2月8日(土) くもりのち晴れ 朝のうち少し雪
高山 → 串良 → 志布志 → 串間市長浜(32km)

 北風が強く、土ぼこりが舞い上がるし、とても寒い。風さえ吹かなければ、けっこう春の日差しでポカポカ気持ちがいいのだが。
 さて、ついに宮崎県に入った。まだまだ足は痛いが、なんとか一日30km以上ペースは守っている。しかし、歩くペースは足の痛みのために時速3kmぐらいに落ちている。いつになったら、足が慣れてくれるのだろうか?

 今日のサイト地は海辺。夕陽がとてもきれいだった。足さえ痛くなければ、もっと気持ちよく見れるのに!

 風呂に入りたい!

2月9日(日) 晴れ
串間市 → 南郷 → 日南(36km)

 今日は途中で挫折しそうになったが、なんちか耐え、やっとのことで日南市まで進むことができた。今日の距離は今までの中で一番長いだろう。だが、とても苦しかった。まだ、足が痛い。いったい、なんでこんなに苦しまなければならないのだろう。いったい、何が楽しいのだろう。一日のうちで会話をするのは買い物の時のわずかな会話だけで、あとは全然ない。口を動かすのは飯を食うときと鼻歌を歌うときだけだ。それと独り言を言う時だけ。それに、毎日のパターンも決まりきっている。朝6時ごろ起床、7時出発、午後5時〜6時頃にサイト、飯を食って9時就寝。毎日、いっしょのパターン。
 こんな馬鹿なことをするよりもう一度ネパールに行くべきだった。もう一度、カトマンドゥのバザールの賑わい、ポカラでの昼寝、ヒマラヤの白い山々・・・・・・もう一度、あおの気持ちを味わってみたい。なんで、昨年、バイトをしてお金をためなかったんだろう。今、行かなければ、もう二度と行くチャンスはないのに。

 とまあ、今さら愚痴ってもしょうがない。京都まで歩くと決めた以上、歩かなければならない。それが青春だという青臭いことは言いたくない。ただ、一度、歩こうと決めたのだから、歩くしかない。

 今は歩くだけだ!

2月10日(月) くもり
日南市 → ウド → 高知海(30km)

 5日目になり、かなり歩くのに慣れるだろうと思っていたが、大間違いで、左足首のところに歩くたびに激痛が走る。今までなかった痛さで、身の毛もよだつ痛さだ。いったい、どうなったのだろうか。骨に異常ができたのか。それともアキレス腱がおかしくなったのか。とにかく、明日はなんともなければいいのだが。
 おかげで、今日は30kmぐらいしか歩けなかった。まあ、1時間朝寝坊したというのも大きい原因だが。とにかく、明日は宮崎市だ。なんとか乳母車を手に入れたい。やはり、ザックをかついでいては、距離が稼げないし、疲れが激しい。
 ところで、今日、歩いている旅人に出会った。竜谷大学の3人組で、宮崎から都井岬まで歩くそうだ。やはり、旅人と出会うのはうれしいものだ。夏の北海道には多くの旅人がいて、サイトのときも楽しいが、春の九州は旅人が少ないため、寂しい。まあ、しかたがないか。
 それに、今日、店のおばさんに珈琲をごちそうになった。どうも、ありがとう。

 明日の目標
  1.乳母車を購入する
  2.お金を銀行でおろす
  3.外食をする
  4.銭湯に行く
  5.洗濯をする

2月11日(火) 晴れ
高知海 → 青島 → 宮崎市(22km)

 昨日の予定では、宮崎市内でお金をおろし、乳母車を手に入れて、宮崎市内を抜けるつもりだったのに、よく考えてみれば今日は建国記念日で祝日。銀行は休み。そんでもって、手持ちの現金は 12,000円也。2時頃、やっとのことで宮崎駅に着き、それからコトブキヤデパートをまわって、乳母車を探してみたが、手持ちの現金では足りない。しかたがないので、ザックで歩き続ける決心をし、3時ごろ宮崎駅を出発したら、5分も歩かないうちにザックの肩紐が切れてしまった。もう、どうにもならない。おまけに2、3日前から肛門のあたりが変だと思っていたら、今日、クソをしたら、血が出てきた!ついに持病の痔が発症!もう、かなり落ち込んでしまい、マジで挫折しそうになり、なげやり。だが、気を取り直して、安い乳母車を探し回ったら、運よくジャスコで1万円の乳母車を発見!それを購入し、乳母車を使って旅を続けることを決定。ちなみにこの乳母車に「イタチ号」と命名。イタチ号よ!なんとか京都までがんばってくれ!

 夕食は久しぶりの外食。たまたま入った食堂のおじさんが気さくな人でけっこう話をする。俺のやろうとしていることを励ましてくれる。うれしい。

 九州に来てはじめて風呂に入る。よみがえった。なんて、風呂はいいんだろう。思わず、リッチにビールも飲んでしまった。

 いいサイト地を見つけた。今からそこへ行こう!

2月12日(水) 晴れ
宮崎市 → 砂土原 → 高鍋(31km)

 銀行でお金をおろし、そして、ザックを実家に宅配便で送るために出発は9時過ぎになる。昨日までと違って、今日からはイタチ号を押して歩く。やはり、思ったとおり、体の疲れも出ず、スピードもかなり速い。やはり、乳母車にして正解だ。でも、左足の足首と膝がまだ痛む。
 今日から快調にとばせると思ったら、またまた障害が出現。それは痔。もう、昼ごろから尻が痛い。もう、嫌になる。なんとかしてくれ!

2月13日(木) くもり時々晴れ
高鍋 → 都農 → 日向 → 土々呂(44km)

 今日の天気予報では、夜、雨が降るということなので、なんとか、昔懐かしい土々呂駅で寝ようと思い、必死に歩く。ザックを担いでいるときと違い、足は快調なので、ついに始めて40kmを超えて歩くことができた。到着したのは6時30分頃だったが、今までの最高記録の距離だ。やれば、できるのだ。

 今日はなつかしの都農を通った。思い越せば2年前、この地で祖父を死を知り、一晩、テントの中で泣き明かし、次の日、日向のフェリー乗り場まで泣きながら自転車をこいだ。もう、2年が過ぎてしまった。あの時見た風景の記憶は全然なかったが、祖父のことがしきりに思い出された。祖父に俺が社会人となる姿を一目でもいいから見せたかった。俺が社会人になるまでは、死にきれんと言っていた祖父なのに。祖父の期待にそうためにも、俺は4月から真剣に生きなければならない。

2月14日(金) 雨のち晴れ時々くもり
土々呂 → 延岡 → 北川 → 大分県・宇目町(42km)

 昨夜は予想通り雨。だが、朝7時ごろには雨も上がり、8時ごろからは太陽も顔を出し始めて、歩くには支障なし。途中で車で旅している兄ちゃん2人組と出会い、ジュースをおごってもらう。最初のうちは単なるミーハーの旅行者かと思って軽く対応していたら、なんと片方の人が2年前に日本列島徒歩縦断をしたと言う。思わず、尊敬のまなざしに変わり、意気投合。写真を撮ってもらったりして、徒歩の旅についていろいろ話す。やはり、同じ世界を求めている者同士の会話は楽しい。彼の話によれば、かなりの人が日本徒歩縦断をしているらしい。そんな人達と比べると、俺のほうはちょっと情けない。全体の距離は短いし、一日の歩く距離も短い。でも、同じ世間から変な者として見られる者同士、すごく通じ合う心がある。俺もできることなら、日本列島徒歩縦断がしたかった。でも、現実の壁に負けてしまった俺。でも、まあ、長い人生、いつでもやれるチャンスはあるさ。気楽に行こう。

 今日もなんとか40km以上は歩けた。乳母車の威力は大きい。明日からは45km以上をめざしたい。

 今日はバレンタインデー。私は旅に出ているので、チョコはもらえなくて当然。しかし、京都にいたらもらえたでしょうか?まあ、だめでしょう。

2月15日(土) 雨
宇目町 → 弥生町 → 野津町(48km)

 弥生町あたりまでは気にならないほどの雨だったが、そのあと、強い雨になり、悲惨。雪になりそこねたような冷たい雨で、体じゅうが冷えた。途中で挫折しそうになったが、なんとか気力をつくし、予定通り、野津町まで。今日もかなり歩いた。
 もう、疲れた。
 寒い。サムイ、さむい。
 明日は別府だ。
 温泉に入るぞ!

2月16日(日) くもり時々晴れ
野津町 → 犬飼 → 大分市 → 別府(45km)

 今日も寒い一日。大分市内に入ってからが長く、ヘトヘト。とりあえず、別府に行き、温泉に入ろうとひたすら歩いていたら、別府市の手前で、一台の車が止まり、俺を今晩泊めてくれると言う。涙が出るようなうれしい好意にありがたくごやっかいになる。この人は、ヨガの学校を開いており、奥さんは外国人。夜、自宅の温泉に入れてもらい、晩飯をごちそうになり、そのうえ、洗濯までも。非常にありがたい。俺のやろうとしていることに理解して、励ましてくれる人に出会うことはとてもうれしい。この人の好意にこたえるためにも、なんとしてでも、京都まで歩かなければならい。

2月17日(月) くもり
別府 → 日出 → 山香 → 宇佐市(35km)

 朝食をごちそうになり、川畑さん一家に見送られて8時40分頃出発。出発間際に餞別をいただく。こんなことまでしてくれるとはほんとうにいい人だ。がんばらなくては。
 今日は、昨日歩きすぎたのと、久しぶりに風呂に入ったため、とてもだるかった。それに痔の悪化で尻が痛い。はたして、治るのだろうか。日出で出会ったおじさんに痔の治療方法をいろいろ聞いたけど、うまくいくかどうか。

 今日の朝、川畑さんといろいろ話をした。俺が、今、悩んでいること、つまり、八尾に帰ってからの生活、人とのつきあい等・・・について相談した。結局、教えられたことは、すべては自分の心の問題。心が幸せならばいいのだ。そして、自分のやりたいことをやるべきだということ。この教えのとおり、俺は田舎に帰ってから、人の目を気にせずに、自分の思った通りやりたいことをやろう。人からどう見られたっていいじゃないか。わかる人はわかってくれるはずだ。

 今晩、雨が降るそうだ。やばい。テントを張ってしまった。

 サークルの先輩の西胤さんに電話した。久しぶりに彼の声を聞いたら元気が出てきた。早く会いたい。

2月18日(火) 雨
宇佐市 → 宇佐駅 → 中津駅(28km)

 現在、時間は午前8時30分。宇佐駅の待合室にいる。昨夜1時ごろから雨が降り出し、テントの中は水浸しで、寝袋までもぐっしょり。雨に濡れ、寒さのためにほとんど眠れず、しかたなく、朝5時ごろにテントを撤収して、宇佐駅まで暗闇の中を歩いた。メチャクチャ悲惨である。やはり、昨日、西屋敷駅で寝るべきであった。こんなにひどい雨が降るとは!今は身体が濡れてとても寒い。このままでは風邪をひいてしまう。しかし、まだ、雨が降っているし、民宿に泊まるほどの余裕はない。それに、今回の旅では、絶対に民宿に泊まらないと決めている。
 あぁー!なんとかしてくれ。雨さえやんでくれれば、中津まで歩くのに。中津に行きさえすれば、なんとか寝袋を乾かし、駅で寝れる。それに風呂にも入れる。こんな事態になったのも、昨日、駅で寝なかったせいだ。なんで、あのとき、寒さをこらえて駅で寝ようと決心しなかったのだろう!しかし、今さら過ぎてしまったことを悔やんでも始まらない。俺の悪い癖は、いつも終わってしまったことを後からくよくよ後悔することだ。過ぎてしまったことはもうどうにもならない。もっと、心を広く、前向きに、そして、楽天的に生きるべきだ!まぁー、先は長いんだし、気楽にいこうじゃないか!
 明日は明日の風が吹く!

続き(午後8時)
 今、中津駅の待合室にいる。結局、午前中は宇佐駅でぼーとして、午後1時頃、雨が小降りになったので、決心して出発。途中、時々雨が強く振ったりしたが、なんとか6時30分頃に中津駅に到着した。今、久しぶりの外食をすませてきたところだ。さて、これからどうしようか?この駅の待合室は夜、閉鎖するので、寝るとしたら、外のひさしの下のベンチだ。でも、寝袋は濡れているから、そのまま寝るしかない。雨はまだ降っているし、とても寒い。眠れるだろうか?それとも、ここはひとつ駅前のサウナに泊まろうか?料金は2,000円で、へたな民宿に泊まるよりは安いし、タバコもタダだ。それに映画も見れる。しかし、・・・・・・である。そんな楽をしていいのか。俺は今回の旅では宿に泊まらないと決めていたのではないか。俺の今回の旅は、一種の「行」である。別府で泊めてくれた川畑さんが、俺を泊めてくれ、そのうえ餞別までくれたのは、俺の旅が「行」だと思ったからではないだろうか?それなのに、今、俺が宿(サウナ)に泊まれば、彼の好意はどうなる!・・・・と思う自分がいて、もう一人の自分は、こう言っている。「せっかくの旅なのに、なんでそんなに自分を苦しめなくてはならないのか?俺は歩くことで充分苦しんでいるし、やることをやっているじゃないか!それに泊まるのは今回だけだし、寝袋が使えないという理由もある。なんで、そんなにこだわらなければならないだ。もし、風邪でもひいたらどうするんだ!」
 さて、どうしましょうか?なかなか決心がつかないのも、これまた私の悪い癖でして・・・・。
 決めた!やっぱりサウナに泊まる。こんなに寒いところで、寝袋なしで眠れるわけがない。サウナに行くぞ!

2月19日(水) 雨のちくもり
 中津駅→ 豊前 → 行橋 → 北九州市・下曽根駅(42km)

 昨夜は結局サウナに泊まり、久しぶりに落ち着いた気分で眠ることができた。考えてみれば、1800円で、風呂に入れて、映画も観れて、そして、宿泊できるなんて最高の気分だ。思わず、朝風呂にも入ってしまった。
 さて、午前中は、時々雨もぱらついたが、そのあと久しぶりの太陽も顔をみせ、ついに福岡県に突入。九州も残すところあとわずか。2月6日に佐多岬の手前8kmを出発して、14日目に北九州に到着。考えてみれば、九州も狭いもんだ。最初から乳母車を使っていれば、もっと短い日数で歩けただろう。ほんとうに乳母車を利用して正解だった。一日40km歩いても、あまり疲れない。なんとか、この調子で、京都まで歩きたいものだ。うまくいけば、大学の成績発表に間に合うかもしれない。そうしたら、もし、元気があれば、そのまま富山まで歩きたいもんだ。京都までは約1100km前後に過ぎないが、富山までならば、約1500km弱。ちょうど日本列島の半分の距離になる。そうすると、また、いつの日か(まあ、定年退職後だろう)、富山の自宅から北海道・宗谷岬まで歩けば、ちょうど日本列島を縦断したことになる。歳をとってから、若い頃の夢を追って歩くというのも、なかなかロマンがある話じゃないか!
 まあ、先のことをとやかく考えていても始まらない。とにかく、京都まで絶対に歩きとおすことだ。ただ、心配なのは痔がまだ治っていないことだ。今日は出血したし、歩いている途中、突然痛み出した。たぶん、こんな寒い季節に一日じゅう歩いている以上、治らないのではないだろうか。なんとか、悪化しないでほしい。

 最後にもう一言。今日から突然禁煙しようと思い、ずっとタバコを我慢していたが、下曽根駅に着いたら、ついに誘惑に負け、タバコを吸ってしまった。なんて、俺は意思が弱いのだろう。川畑さんに出会ってから、食品公害について考えるようになり、タバコなんて絶対に身体によくないから、やめようと決心したのに。俺って、ほんとうにダメな人間だなあ!

 明日には、西胤さんに会える。久しぶりなので、うれしい。それに久しぶりの酒も飲めそうだし!

2月20日(木) くもりのち雨
下曽根駅 → 小倉駅 →(電車)→門司・西胤さんの自宅(7km)

 9時40分頃に小倉駅に到着。そのあと、西胤さんが働いているアウトドアショップ「キャンプ2」を訪れ、久しぶりに西胤さんと再会。彼は忙しそうで、あまり話もできない。夕方、彼の自宅に一緒に行くため、そのまま小倉で一人で時間を潰す。小倉城の見学と映画を観て、時間潰し。
 夕方、西胤さんの自宅に行き、ごちそうを食べさせてもらう。生まれて始めての「ふぐ刺し」は最高だった。久しぶりにくつろいだ気分。西胤さんのご両親はほんとうにいい人だ。

 ※ 今日の出来事
 小倉駅の待合室で、一人でぼけーとしていると、変なおっさんに「兄ちゃん、仕事せんか?」と言われてしまった。ついに俺も浮浪者に間違えられるようになった。

2月21日(金) くもりのち晴れ
門司・西胤さんの自宅→(電車)→ 小倉 → 門司 →関門トンネル → 下関(28km)

 西胤さんのお母さんに弁当を作ってもらい、10時頃、西胤さんと「キャンプ2」のスタッフに見送られ、小倉を出発。1時15分、ついに本州に上陸。九州ともとうとうおさらば。

 眠い。夕べ、西胤さんと久しぶりに遅くまで話をしていて、あまり眠っていない。
 やばい。ついに風邪をひいてしまった。たぶん、3日前、雨に打たれたのが悪かったんだろう。なんとか、治ってくれ。明日もがんばるぞ!

2月22日(土) 雪のち晴れ
下関 → 南陽 → 小郡 → 山口市(41km)

 今日は風邪が悪化したためか、かなり疲れた。そのうえ、九州と比べ、車が多く、かなり疲れる。さらに4箇所も工事をしていて、片側通行なので、ゆっくり歩くわけにはいかない。なんで、人間がこんなに苦労しなきゃいかんのだ。道は車のためだけにあるのか?いや、道は人間が歩くためにあるのだ。どこか間違っている。

 さて、今日の出来事。一つは警察についに職務質問されてしまった。なにか事件があったらしいのだが、こんな汚い格好をしているとしかたがないか。でも、なにが身分証明書を出せた!畜生!俺は泥棒じゃないぞ!

 二つ目は宮崎から歩いている浮浪者にお金をせびられたこと。なんとなく、嫌な気分になったが、困っている人を少しでも助けてやろうじゃないか!もっと広い心でお金をあげればよかった。とりあえず、500円渡した。

 やばい!ガソリンコンロが壊れた。火力が強くならない。これじゃ、うまく飯が炊けないじゃないか!

 せきが出て苦しい。風邪を治さないとやばい!

2月23日(日)晴れ
山口市→ 防府 → 新南陽 → 徳山(44km)

 今日もまた昨日と同じように、ポカポカ陽気で気分がいい。しかし、相変わらず物凄い交通量。こんな多けりゃい車にはねられてもおかしくない。道路にずっと歩道があればいいのだが。
 さて、今日は俺と同じ徒歩旅行者に出会った。彼は仙台から佐多岬まで歩くと言う。彼は30kgぐらいのザックを背負っての旅で、なかなかすごいパワーだ。1月1日に仙台を出発して、ここまで(新南陽)来たのだから、歩くペースもすごい。いつもながら、同じ仲間と出会うのはうれしいものだ。

 もう一つのうれしい出来事。食堂で夕食を食っていたら、食堂のおやじさんが残り物のビールを飲ませてくれた。どうもありがとう!

 明日、昨年の夏の北海道で知り合った近藤君の家に泊めてもらおうと思って、今、電話したら、彼がいない。せっかく、布団で眠れると思ったのに。どうしようか。

 あぁー。体じゅうがだるい。風邪がまだ治っていない。頭痛も少しする。

 洗濯をしなくては。せっかく、風呂に入っても着るものがない。風呂から上がってまた汗臭い服を着るほど悲しいことはない。

 今夜、どこで寝ようか?

2月24日(月)晴れ
徳山 → 周東 → 玖珂 → 玖珂・近藤君の自宅(30km)

 近藤君の自宅に泊まる。

2月25日(火)晴れ
玖珂・近藤君の自宅→ 錦帯橋 → 岩国 → 大竹 → 宮島 → 廿日市(40km)

 昨日は、結局、近藤君の家に泊めてもらい、歓待を受けた。家族の人はみんな親切な人ばかりで、いろいろとお世話になった。また、近藤君とも会うのも久しぶりで、お互いにいろいろ積もる話もあり、夜遅くまで話をしていた。彼は、俺と北海道で出会った時は、単なるバイク少年だったが、北海道で俺達と一緒に知床半島を歩いたことがきっかけで、山登り少年に変わり、これからビシバシと山登りをやっていくらしい。がんばってほしいものだ。
 さて、今日は午前9時前に近藤君の家を出発し、有料道路を通って錦帯橋を見学。小倉城以来の観光だが、別にたいしたことはない。ただ、回りの雰囲気がとてもよかった。そのあと、ひたすら歩いてついに広島県へ。
 結局、宮島口駅で寝ることにする。宮島へ船で渡ろうと思ったが、アホらしいのでやめた。俺は神社仏閣には興味がない。

 寒いよ!テントを張るべきだったのか。でも、テントを張る場所がなかなか見つからない。

 どうも駅で寝るのは気がすすまない。人がいるので、自分だけの世界がない。人目が気になってしまう。やっぱり、狭くてもテントのほうがいい。

2月26日(水)晴れ
 廿日市 → 広島 → 瀬野(37km)

 昨夜、駅で寝ようと思い、駅長に許可を求めると、あっさり断られ、しかたなく、夜9時頃からテントサイトを求めて歩き、やっとテントの張れそうな空き地をみつけ、テントをはった。ところが、ところが、乳母車にのせていたシェラカップを途中で落としたことに気づき、10分間ほど来た道を戻って捜したが、見つからない。しかたがないので、昨日はそのままテントで寝ることにし、今朝、もう一度戻って捜すと、運よく道端に落ちているシェラカップを発見。たいへんラッキー。このシェラカップは、大学1回生のとき、石垣島で泊めてくれた人からもらったもので、大切な思い出のもの。ほんとうに見つかったよかった。しかし、こんなことになったのも泊めてくれなかった宮島駅の駅長のせいだ。チクショウ!

 さて、今日は平和記念公園に行き、原爆資料館を見学してきた。やはり、思っていた以上に悲惨なものだった。焼け爛れた人間、グニャリと曲がった一升瓶、一面焼け野原となった広島市の写真・・・・・。よくも、こんな非人道的な爆弾をアメリカは作ったものだ。彼らは、結局、日本人を含むアジア人を動物のようにしか思っていないのだろう。
 資料館を出て、公園を歩いてみると、そこは平和そのものという感じ。散歩している人、ベンチで昼寝をしている人、人間が近寄っても逃げないハト。こんな光景をみていると、つくづく平和だなあと実感。原爆で死んでいった人々は、こんな光景を想像できたのだろうか。なんとなく、資料館でみた悲惨な状況とこののどかで平和な公園の風景とのギャップを感じてしまった。まあ、これでいいのだろう。でも、俺達はこの平和を漠然と満喫するのではなく、少しでも平和であり続けようとする努力をしていくべきだとう思う。世界では、飢えや戦争で苦しんでいる人達がたくさんいる。少しでも、その人達を助けようとする行動が必要なのではないか?
 こんなことを考えながら公園の中を歩いていると、腹の立つことに出会った。一つは原爆ドームの前のベンチでキスをしていたアベック。もう一つは、慰霊碑の前でうれしそうに記念写真を撮っていた旅行中のおじさんたちの団体。彼らはここをどこだと思っているのだろうか?

 さて、広島からメチャクチャ車が増えた。こんなにたくさんの車が走っていれば、いずれ石油がなくなっても不思議ではない。いったい、将来はどうなるのだろうか?

 最後に。今日は祖父の命日だ。(※注:一日勘違いしていました。)結局、今年も旅先で祖父の命日をむかえた。早いものでもう2年が過ぎてしまった。祖父が亡くなったとき、一生、このショックから立ち直れないんじゃないかと思っていたが、今ではしっかり立ち直っている。だんだんと祖父のことを忘れていく自分が悲しい。でも、やはり、俺が社会人になるまで祖父に生きていてほしかった。とにかく、俺は力いっぱいがんばるぜ!じいちゃん、しっかり天国で見ていてくれよ!

2月27日(木)雪のちくもり
 瀬野 → 東広島 → 大竹 → 本郷(45km)

 今日は午後2時頃までずっと雪。まあ、北陸の雪と違って、サラサラしていて、舞っているという感じなので、歩くには障害にならない。
 調子の悪かったガソリンコンロが復活した。これで自炊できる。
 相変わらず車が多くて疲れる。
 久しぶりの45km。明日も45kmだぞー!

2月28日(金)雪のち晴れ
 本郷 → 三原 → 尾道 →福山(44km)

 午前中はずっと雪。それも昨日の雪と違って湿った思い雪で、かなり激しく降り、歩くには苦労した。それでも、午後からは晴れ上がり、なんとか予定通り福山に到着。めでたし、めでたし!

 さて、今日で2月も終わり。ほぼ予定のコースの半分は過ぎたという感じで、京都までなら、あと1週間ぐらいで着きそうだ。とりあえず、前半の旅を振り返ってみよう。まず、歩くことに関しては、ザックから乳母車に変えてからは、見違えるように距離も伸び、疲れも少なくなった。あのまま、ザックを担いでいたら、今頃はまだ山口県に入ったばかりかもしれない。
 次に歩いたコースの印象だが、今回は風景を楽しんだ所などほとんどない。しいて上げれば、日南海岸ぐらいだろう。3年前に北海道を歩いたときは、自然がずいぶん残されていたので、歩いていてもけっこう楽しかったが、今回は都市部ばかりで、自然が少ない。乱立する工場群、家屋。楽しむところじゃない。それに車が多すぎる。特に本州に入ってからは、物凄い量だ。これじゃ、楽しむどろこじゃないし、歩くことが健康にいいといっても、これだけ、毎日何百台もの車の排気ガスを吸うと身体がおかしくなるんじゃないか。
 それからもう一つ気になるのは、ゴミの量。もう、嫌になるほどのゴミや空き缶が道端に捨ててある。どこを歩いてもゴミだらけ。家のないところ、つまり、山の中が特にひどい。なんで、みんなゴミを平気で捨てるのだろう。これじゃ、だんだんと自然が失われていくのもわかる。平気でゴミを捨てる人間が平気で自然を破壊していくのだ。こんな調子じゃ、いつの日か、日本は滅ぶだろう。車にしても、ゴミにしても、工場から出される煤煙にしても、自然を少し壊すだけで、すべての自然を失おうとしている。自然がなくなってしまったとき、人間も一緒に滅んでしまうことに気づかなければならない。壊れた自然は二度と戻らない。今こそ、人間と自然との調和を考え、新しい文明の方向を進まなければならないのではないだろうか。川畑さんからもらった「生存への行進」に書いてあったことがなんとなく実感できてくる。ほんとうにこのままじゃやばいような気がする。
 俺も富山に帰ってから行動せねばならない。

3月1日(土)晴れ一時雨
 福山 → 笠原 → 里庄 →鴨方 →倉敷(43km)

 今日から3月。つに岡山県に突入。京都まであとわずかだ。もう1週間ぐらいがんばれば、みんなに会えてくつろぐことができる。
 さて、今日はうれしいことがあった。笠原あたりで、車を運転していた女の子が、歩いている俺に話しかけ(ちょうど片側通行で渋滞していたため)、そのあとわざわざ俺のために昼飯を買って引き返してきたのである。彼女は旅の好きな女の子で、以前、バイクで4ヶ月かけて日本を旅したそうだ。彼女は、久しぶりに旅人をみてうれしくなって、俺に声をかけてくれたそうだ。とにかく、なかなか感じのいい人で、うれしかった。久しぶりに女の子と会話ができたし、少しでも俺を励ましてくれる人と出会えることはうれしい。旅はやはり人との出会いだ。この出会いを大切にしたい。このことがあったため、一日中元気よく歩けた。

 ところが・・・・・・今は倉敷駅にいる。たくさんの人がいる。みんな楽しそうだ。女の子はみんなきれいにおしゃれして、楽しそうに会話しながら、街を歩いている。サラリーマンは居酒屋でうれしそうに酒を飲んでいる。女の子はみんな綺麗だ。今日は土曜日の夜。今、トイレの鏡で自分の顔を見た。髪の毛と髭は伸び放題。身体は日焼けと埃で真っ黒。ゴワゴワの色あせたダウンジャケットに染みがいっぱいついたジーンズ、汚れたジョギングシューズ・・・・・・・。まるで浮浪者だ。もう汚い格好には慣れて、はずかしくないはずなのに、なぜか非常に悲しい。見知らぬ街に俺一人。孤独には慣れたつもりだったのに。寂しい。悲しい。誰かと会話したい。今頃、京都にいれば、みんなと楽しく酒を飲んでいるのになあ。街角のアベックがうらやましい。無性に人恋しい。女性が恋しい。まあ、京都にいても、女性には縁がないけど。
 まあ、しかたがないか。俺は一生に一度の大冒険をしているのだ。他の誰よりも貴重な体験をしているのだ。ここでくじけてはいけない。やるしかないのだ。

 さて、気合いを入れて、児童公園でも行ってテントを張るか。少し雨が降っているけど。

3月2日(日)晴れ時々くもり
 倉敷 → 岡山 →  備前大橋(34km)

 今日はなぜかとてもだるく、たった34kmしか歩いていないのにサイト。ちょうど広い河原があり、たまには堂々と広い場所でサイトをし、ゆっくり自炊したかった。どうもここ2、3日みたいに、夜、こっそりと市街地にある児童公園でサイトするのは疲れる。今日は久しぶりに米を炊いて、味噌汁を吸う。幸せ!でも、どうもガソリンコンロの調子が悪い。これじゃ安心して自炊できないじゃないか!

 さて、昨日の夜と今朝、少しだけ倉敷の古い町並みを見学。白い壁の家々で、なかなか感じがよかった。でも、男が一人でみても、つまらない。やはり、こういう所はギャルと一緒に観光すべきなのだろう。
 それにしても、日曜日に歩くのは悲しくなる。なぜならば、アベックの車が多いからだ。みんな楽しそうにドライブしている。こういうのをみていると、自分がたいへん情けなくなる。俺は、まるで浮浪者みたいにただ歩いているだけ。なんで俺は歩くのだろう?何かいいことでもあるのだろうか?まあ、その答えは歩き終えたときに少しぐらいはわかるだろう。それにしても、車に乗っている人や通行人は俺をじっと見るが、はたして、彼らは俺のことをどう思っているのだろうか?若者が青春を賭けて必死に歩きながら旅していると思ってくれているだろうか?もし、ザックにも担いでいればそう思ってくれるかもしれないが、乳母車を押しているなんて、どうも異様すぎて、浮浪者だと思っているんじゃないだろうか?

 明日は50km歩くぞ!起床は5時だ!

3月3日(月)くもり時々晴れ
 備前大橋 → 備前 → 兵庫県・上郡 →赤穂 → 相生 → 揖斐川(44km)

 今日はほとんどが山のコースだったので、気分よく歩けた。特に船坂トンネルあたりは歩行者用道路が別にあって、そこがとてもよかった。あのうるさい車の音は聞こえず、聞こえるのは小鳥の鳴き声だけ。春の日差しを浴びた林の木々。もう少しで春なんだなあという感じ。ポカポカ陽気。時間があれば昼寝したいくらいだった。

 今、久しぶりに日本酒を飲んでいる。熱燗だ。いやー、日本酒はいいもんだ。晩飯はジンギスカンだったし。これで、明日、歩かずにすめばいいのになあ。あと、3、4日で京都だ!

3月4日(火)晴れ
 揖斐川 → 竜野 → 太子 → 姫路 → 加西 → 滝野(43km)

 今日は一日中ポカポカ陽気。あのいつもの冷たい風は吹かないし、日差しも春らしく暖かい。それについにあの騒々しい国道2号線を離れ、国道372号線へ。道は狭くて歩道もあまりつていないが、車は少ないし、コースも山の中。とても気分よく歩けた。やっぱり、山の中はいい。考えてみれば、車だらけの車道を歩くより、北アルプスを歩くほうがよっぽど気持ちがいいだろうなあ。早く山登りをしたい。新緑の由良川もいいなあ!そして、長治谷での昼寝。こんなウルサイ下界歩きは嫌だ。

 さきほど、京都にいる友人の前田ににTEL。久しぶりに友人の声が聞けたのがうれしい。あさっては京都だ。彼の下宿に泊めてもらおう!

3月5日(水)くもり一時雨
 滝野 → 社 → 今田 → 丹南 → 篠山(41km)

 今日はまったくついていない一日。まず、社町で標識を見落としため、道を間違え30分ほどのロス。そのあと、気を取り直して歩き始めたが、途中で腹が減ってくる。ところが、回りにはまったく食料品店がない。自分の持っている食糧はにんじん1本だけ。10時30分頃、やっと食料品店を見つけ、腹を満たす。そのころから冷たい雨が降り出す。さらに1時頃、放し飼いの犬に足を咬まれる。運よく、ジーンズの裾を咬まれただけでよかったけど、もし、足そのものを咬まれていたらやばかった。
 とにかく、なんだかんだと調子が悪く、予定の場所までたどり着けなかった。

 さて、明日はいよいよ京都だ。あと50km!思えば早く着くものだ。佐多岬を出発した頃、ずいぶん遠いと思っていたけど、なんとか1ヶ月で到着する。あの歩き始めた頃、足が痛くて、なんとか理由をつけて途中でやめることばかりを考えていた。なんで、こんな馬鹿なことをしているんだろうと愚痴ばかりこぼしていた。ところが、なんだかんだといっているうちにもう到着だもんね。千里の道も一歩からだ。
 本来ならば、これで終了のはずだったんだけど、まだ、時間的余裕があるので、富山まで行くことにする。あー、でも、雪があって歩きづらいだろうし、サイト地もなかなか見つからないだろうし、もう、だるいなあ!なんで、富山までにしたんだろう。京都でいいのに。でも、友人達に出した絵葉書に富山まで行くと書いたので、やめるわけにはいかんだろう!
 とりあえず、京都で2日ほど休養してから、出発だ。まだまだ先は長い。あと300km!でも、雪が残っているから乳母車ではちょっとやばいような気がする。道は狭くなっているし、歩道も雪があって辛いだろう。ザックに変えようかな!それに雪があるので、テントを張るにもちょっとやばい。地面からの冷たさはきついぞ!駅泊まりにしようか?

 まあ、とにかく明日一日がんばって京都に行くのだ!

3月6日(木)雨のち晴れ
 篠山 → 天引峠 → 京都府・園部 → 亀岡 → 京都市 → 立命館大学 → 佐藤君の下宿(48km)

 ついに京都にたどり着いた。2月6日に佐多岬を出発して、ちょうど1ヶ月目。夕方、少しずつ暗くなり始めの頃、衣笠山、そして、大学の明かりが見え始め、6時30分頃、ついに大学の南門をくぐった。思っていたほどの感動はなかったが、それでもうれしかった。京都までの約1100km、我ながらよく歩いたもんだ。まあ、人間その気になれば、なんとかなるもんだね。でも、ここで喜んではいられない。最終目的地は富山なんだから、9日からまた、がんばりましょう!
 夜は佐藤君の下宿に泊めてもらう。久しぶりの再会がうれしい。

3月7日(金)晴れ
 佐藤君の下宿滞在(休養日)

 昨夜は久しぶりのビール。なぜかすぐに酔ってしまった。午前中は洗濯に靴洗い、寝袋干しなどで時間を潰し、午後からは妙心寺の境内で読書。そのあと、佐藤君と衣笠山に登り、現在は衣笠山でぼけーとしています。もう天気はポカポカ陽気。春そのもの。京都の街を眺めながら、日向ぼっこ。やっぱり、山はいい。早く山登りがしたいなあ!

3月8日(土)晴れ
 佐藤君の下宿 → 前田君の下宿(休養日)

3月9日(日)晴れ
 前田君の下宿 → 大原 → 滋賀県・花折峠 → 坊村 → 朽木村(45km)

 昨日、大学の成績発表があり、俺はもちろん合格。いよいよ卒業がまじかに迫ってきたという感じ。昨日は大学で久しぶりに友人たちと再会し、みんなでブラブラと時間を潰した。夕方、佐藤君のところに彼の田舎の友人が訪れてきたので、寝場所を前田君の下宿に変え、今朝は彼に見送られて下宿を出発。昨日、一昨日と休んでいたため、なんとなく気合いが入らない。やはり、2日間も普通の生活をすると、怠け癖が出てくる。歩くことがアホらしく感じてくる。今日一日中、歩くことを中止する理由を考えていた。我ながら相変わらず逃避する癖が出てくるのだ。まあ、それでも、なんとか45km歩くことができ、満足。明日からもがんあbりましょう!
 さて、さすがに京都を越えると雪が多い。特に花折峠あたりはかなりの雪が残っており、ただでさえ狭い道路が雪のために一層狭くなっていて、車が来るたびにハラハラドキドキ。まあ、それでもこの道路は車の通行量が少ないからいいけれど・・・・・・。しかし、このあと北陸路に入ったらどうなるのだろう?まだ、かなり雪が残っていると思う。乳母車じゃスペースをとりすぎて危ない。かといって、ザックはないし・・・・・。まあ、なんとかなるさ!

 明日は雨だ。やばいなあ!

3月10日(月)小雨
 朽木村 → 今津 → マキノ → 福井県・国境 → 敦賀(51km)

 昨夜は予想通り雨。休憩所の屋根の下にテントを張って大正解。雨も朝には小降りになり、ペースも珍しく順調でついに50kmを超えることができた。まあ、やればできるのだ。
 今夜は敦賀市内の公園でサイト。なんだか疲れている。いよいよ北陸路に入ったのだから、もっとがんばらなくては!しかし、京都から敦賀まで特急列車で1時間弱で着くのに、俺は2日間かかっている。なんだか、アホらしいね。

 チクショー!犬が毎日俺に吠え掛かる。今日なんかまた噛み付かれそうになった。俺のどこが怪しいのだろう?
 犬なんか大嫌いだ!今後、咬もうとしたら殺してやるけんね!

3月11日(火)
 敦賀 → 河野 → 武生 → 鯖江 → 福井市・大土呂駅(49km)

 午前中は上り坂、トンネルが多く、バテバテ。そのうえ、雨も降り、路肩に溜まった泥がぬかるんでいて、乳母車を押すのもひと苦労。このぬかるみはずっと続いていて、もう、シューズは泥だらけ、ジーンズの裾もひどい汚れ。今日は河原でサイトしようと思っていたが、濡れていたため、屋根のあるバス停を捜しながら歩いたが、全然ない。日は暮れて暗くなるし、雨は強くなるし、もう悲惨。やっと大土呂駅に着き、一息いれたところだ。でも、駅の中ではどうせ寝させてくれないし、寝るとすれば、外の庇の下のベンチ。もう、寒いよ!明日こそ晴れてくれ!

3月12日(水)晴れ
 福井市 → 九岡 → 牛ノ谷峠 → 石川県・加賀 → 小松市・粟津(51km)

 雨も昨夜であがり、今日は久しぶりの太陽と青空が顔をみせ、春そのもののポカポカ陽気。こんな天気だと歩くのも気持ちがいい。今日は昨日とうってかわって気持ちよく50km歩けた。
 いよいよ石川県に入った。八尾までうまくいけば2日間、つまり、あさってには家に帰れるのだ。あと2日間で俺の旅も終わってしまう。今回の旅で、自分の将来のこと、就職のことなどいろいろと考えるつもりでいたけれど、あまり、それほど考えていない。でも、今の時点でいえることは、俺はこれからもこのままだし、そう変わりはしないだろう。社会人になるというのは一つの転機だけど、そう人間の性格が変わるもんじゃない。だから、やっぱり、俺は今までどおり、やりたいことをやっていきたい。別に人の目を気にすることも泣く、また、自分がこうだと決め付けることもなく、そのとき、そのときの気持ちで楽しいことをやっていきたい。だから、趣味にしても、山登りにこだわりたくない。できれば、4月からカヌーも始めてみたいし、フライフィッシングも本格的にやりたい。まあ、とりあえず今年一年は役場の仕事を覚えるのと農業を覚えたい。やることはいっぱいある。有機農法や食品公害、エコロジーの勉強もしたい。
 なんだかうまく言えないけど、自由にやっていきたいなあ!

 暇まので、続きを書きます。やりたいことは次のとおりです。
 バックパッキング(山歩き)、フライフィッシング、カヌー、山スキー&XCスキー、オートキャンプ、オフロードバイクで のツーリング、サイクリング、丸太小屋作り、ニワトリの平飼い、ヤギの飼育、イワナの養殖、有機農業、玄米食、タバコをやめる・・・・・

 将来は小さな丸太小屋を作り、そのそばに小さな農場をつくって自給自足の生活をする。

 ところで、4月1日からいよいよ役場で働くわけだけど、うまくやっていけるかなあ。俺は人一倍ドンくさく、物覚えも悪いから、最初のうちは失敗ばかりするだろうなあ。どうせ、上司から「大卒のくせに!」とかウダウダ言われるだろうなあ。考えれば考えるほど不安になるけど、まあ、なるようにしかならないんだし、まじめに働きさえすればいずれわかってもらえるだろう。それに人付き合いも嫌だなあ。職場、青年団などうまくやっていけるだろうか?適当にやって、あとは自分の時間を大切にしたい。最後に嫁さんがみつかるかなあ?京都でさえダメだったのに、八尾でうまくいくわけがない!まあ、なんとかなるさ!

3月13日(木)晴れのち曇り
 粟津 → 小松 → 松任 → 金沢 → 富山県との県境近く(48km)

 迂闊ににも金沢市内の繁華街を通ってしまい、非常に恥ずかしかった。メチャクチャ汚い格好だもんね。まあ、しかたがない。
 さて、今夜は久しぶりのテントサイト。山の中だ。なんだか寂しいけど、やっぱりテントのほうが落ち着く。
 いよいよ明日は家に帰れる。早いもんだなあ。2月4日に京都を出て九州に向かい、そして、ついに故郷へ。早く帰って落ち着いた生活がしたい。でも、考えてみれば、こんな旅をするのも、今回が最後。なんだか寂しいなあ。4年間、いろいろなところを旅してきたが、もうこれからはこんなことができないんだなあ。4月からはまじめに働くのみ。長い休みはもう取れない。まあ、最後の旅としては、よくやったもんだ。でも、できることなら、日本列島徒歩縦断をやりたかった。この調子なら、絶対にできたはずだ。まあ、またいつの日かやってやるさ!

 明日は雨。へたをすると今夜から降り出すかもしれない。やばいなあ。

3月14日(金)
 富山県との県境近く →富山県・小矢部 →砺波 →山田村 →八尾・高熊 →天池・自宅(50km)

もう終わりです。



3月17日(月)
自宅にて

 現在は自宅の自分の部屋でこの日記を書いている。14日の夕方5時ごろ、無事に自宅にたどり着いた。なんというか、特別の感動はなかった。ただ、「もう歩かなくていい。」というほっとした感じを覚えただけ。それよりも、「もう、これで旅に出ることはないんだなあ。」という気持ちが自宅に近づくにつれて高まっていき、なんだか寂しくなってきた。そして、「できることなら家に着きたくない、旅を終わらせたくない。」という気持ちでいっぱいになるという感じだった。

 もう、歩く旅は終わった。今回の旅でもっといろいろなことを考え、自分自身に気合いを入れようと思ったけど、それほどでもなかったような気がする。到着したときの感動を楽しみにしていたけど、それほどでもなかった。考えてみれば、俺自身、3年前に北海道を歩いていた時の感動を追いすぎていたのかもしれない。今回はあの時よりも長距離歩き、苦しいこともけっこうあったのだが、北海道の時よりも感激がなかった。やはり、俺自身が昔の自分とは変わりつつあるのだろう。もう感激しない人間になったのかもしれない。もう若くはないんだなあ。

 なぜ、歩くのか?この答えをずっと探してきたが、今、ここでその答えを出してみたい。まず、俺という人間は、中学生のときまではごく普通の少年で、クラスの連中からは優等生的タイプの人間に見られていたと思う。たしかにあの頃は勉強もしていたし、自分自身でやりたいこともあまりなかった。けっこう悩んでいたし・・・・。ところが、高校に入り、山岳部に入部。始めて「山登り」に出会い、これに夢中になった。運動神経の鈍い俺でもできるもの・・・それが「山登り」だった。これに始めて自分自身の存在が見出されたような気がした。
 
 そして、大学に入り、ワンダーフォーゲル部に入部して山登りを続ける。しかし、この頃から集団で登る山登りより単独行による山登りにあこがれるようになり、また、旅、放浪といったものに興味を持ち始めた。結局、ワンダーフォーゲル部を去り、バックパッキングのサークルに入部し、単独で山登りを始めた。とはいっても、冬山やロッククライミングなどの過激な山登りを追及するのではなく、ソロによる山旅といったものを続けていったのである。この頃の山登りの根底には、意思の弱い自分を鍛えたいという気持ちが強かったと思う。そうした山旅の中で、人との出会いが好きになり、それも求めるようになってきた。そうした俺流の山旅の頂点が「北海道徒歩横断」であった。大学1回生の秋ごろに読んだアメリカ大陸徒歩横断の記録の本の影響が強かったわけだが、とにかく歩くことで弱い自分を強くしたかったわけである。北海道徒歩横断が成功し、その後、自分になんとなく自信がつき、今までの自己鍛錬的な山旅から楽しむ山旅に変わってきた。もちろん、日本列島徒歩縦断をしたいという夢はあったが。
 
 だが、こうした山旅もだんだんマンネリ化し、飽きてきたのが3回生の秋。そこで、一つ新しいものを求めたのが、ネパールでのヒマラヤトレッキングだった。たしかにネパールはおもしろく、自分にとって新しいものであったが、何かが欠けていた。それはつまり「熱くなること」であった。自分自身の汗を流し、苦労して熱くなりながら前へ進むということがヒマラヤトレッキングには存在していなかった。
 この「熱くなること」というのは、始めて山登りをやって、バテナイように必死で歩いた高校1年生の頃、単独行にめざめ一人で恐怖に耐えながら山に登った大学1回生の頃、足の痛さと夏の暑さに耐え抜いて歩いた北海道徒歩横断の時、これらのとき、俺の内部にあったと思う。この熱さが歳をとるとともに失せてきた。この熱さを取り戻すには歩くこと以外考えられなかった。別に山に関してなら岩登りや冬山でもよかったかもしれないが、今の自分にできることは歩くことだけであり、それは一つの夢であった日本列島徒歩縦断であった。昨年の夏、日本列島徒歩縦断に真剣に挑戦しようかと悩んだが、結局、現実の壁=就職という壁をやぶることができず挫折。そこで、結局、今回の旅となったわけだ。やっぱり、できるならば、日本列島徒歩縦断をやりたかった。今の調子ならば、あと1ヶ月半あればできたと思う。なんとなく、今回は中途半端で終わったため、感激がなかったのかもしれない。

 熱くなりたいということが歩くことの第1の理由だとすれば、第2の理由は俺の目立ちたがり精神あるいはひねくれ精神であろう。山登りを始めて7年になるが、俺の場合はこれといったエキスパート的な分野がない。サークルの中では、西胤さんや道北みたいにフライフィッシングがうまいわけでもなく、西沢みたいに岩登りや大津さんみたいに山スキーをするわけでもない。俺は単に夏山縦走派。それはつまり「歩く」ということ。俺は自分自身の存在を「歩く」ことに求めていた。それは自己の内部もそうであったし、人の目といった点においても、いえるだろう。
 結局、俺にとって歩くということは、自分自身の存在を確かめ、熱くなるということだったのだろう。


 もう、これからは歩くことは終わりだ。俺は歩くこと以外で熱くなれ、自分の存在感を感じ取れるものを求めたい。。はたしてそれは何なのか?冬山や岩登りなどの過激な山登りか?それともフライフィッシングか?それとも今度始めようと思っているカヌーか?山スキーか?丸太小屋作りか?
 はたして何なのかまだわからないが、今までのように「歩くこと」「山登り」というものに自分を縛り付けたくない。自由に何でも挑戦していきたい。そして、熱くなりながら思いっきり楽しみたいものだ。


 とにかく、俺の旅は終わった。いや、旅が終わったのではない。一つの世代の旅に区切りがついただけなのだ。これからは、新しい旅が始まる。どんな旅になるかわからないが、自分の思うままに自由に突き進んでいきたい。

 新しい人生の旅!

 これからが勝負だ!

 やるしかないぜ!

 さあ、人生です。どうしますか?


 いよいよ社会人。苦しいことが多いと思うけど、思い悩んでいてもどうにもならない。行動しなければ何も始まらないのだ!