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憧れの地・ネパールでのヒマラヤトレッキングと貧乏旅行の記録

期  間    1985年2月6日 〜 4月7日
        (うちトレッキング期間   2月23日〜3月13日)

トレッキングコース    ジョムソン街道(ホカラ → ムクティナート折り返しコース)
                (※アンナプルナ、ダウラギリを眺めるコース)


旅日記

2月6日(水)
京都  → 大阪空港 →(飛行機・エア・インディア)→タイ・バンコック空港

 ただいま、バンコック空港のロビー。まったくの一人です。どうしようか?ビビリます。ホテルで泊まればよかった。

 今日は、京都駅を11時56分に出発。駅では、大学の深井教授と深井ゼミの連中、そして、サークルのメンバーが見送りに来てくれた。駅では、胴上げをやったり、大学の応援歌を歌ったり、万歳三唱したりして、非常に盛大な見送り。なんだか、英雄にでもなったような気分。うれしかったなー!
 大阪空港までは、西胤さんと弓場が見送りに来てくれる。ほんとうにみんなありがとう!
 がんばって、旅をしてきます。

 飛行機の中は日本人が多い。だいたい8割ぐらい。だから、あんまり外国へ行くという気がしない。右隣のシートには、日本で働いてきて、今後、バンコックに帰るタイ人のお姉さん。左隣のシートには、仕事でバンコックに行くおじさん。おじさんのほうにはいろいろとバンコックのことや空港での手続きのことを教えてもらう。まあ、ほとんど彼にバンコックまで連れてきてもらったようなもの。
 タイ人のお姉さんとは、片言の日本語で会話。とてもかわいい女の子だ。彼女に、俺が今晩バンコック空港で寝ると言うと空港は危ないからホテルに泊まるようにいろいろと親切に教えてもらう。彼女は、4人兄弟の末っ子で、お父さんがいないために、生活のために日本に出稼ぎにきていたと言う。
 彼女が席を立ったときに、隣のおじさんに「彼女はパンパンだから気をつけろよ」と言われる。なんだか、その言葉を聴いて寂しい気分になる。考えて見れば、俺達学生は貧乏だといいながら、なんだかんだかと贅沢をしているが、彼女ら貧しいタイ人は、日本に出稼ぎに行かなければ、なかなか生きていけないのだろう。なんだか矛盾を感じる。彼女は、俺にタイでの彼女の自宅の電話番号を教えてくれ、ネパールからの帰りにバンコックに戻ったら、電話をしてくれとしつこく言っていた。これは親切心なのだろうか。それとも、アホな日本人をカモにしようと思っているのだろうか。
なんだか、よくわからない。

 ところで、空港のロビーは長椅子だと思っていたら、背もたれつきの椅子。これでは、眠れないではないか。それに人も少ない。日本人もいない。ほんとうにここで眠れるのか。警察に追い出されるのじゃないか。まわりはタイ人ばかり。やばいよー。もし、眠ったら、ザックが盗まれるんじゃないか?やばい。まあ、なんとか、なるさ!

2月7日(木)
タイ・バンコック空港 → (飛行機・ロイヤルネパール航空) → カトマンドゥ空港 → 市内のロッジ

 昨夜は、結局、日本人の旅行者が一人いて、彼と一緒に空港ロビーで寝る。今日は、飛行機の出発時間まで、彼と一緒にバンコック市内をうろつく。言葉はすべて彼にまかせた。俺はやっぱり英語は話せない。まあ、いいか。でも、飛行機の中では隣に座った欧米人と少しだけ英語でコミュニケーション。自分の英語が少しでも通じるのはうれしい。また、バンコック空港でもネパール人の坊さんと少しだけ会話。あまり、通じないけど、笑顔を振りまいておけば、なんとなく、うれしくなる。
 さて、カトマンドゥに着く前に、飛行機から見えたヒマラヤ山脈は凄かった。ものすごい感激。
 カトマンドゥ空港に着いてからは、けっこう道を悩みながらなんとか市内のストーンハウスロッジに到着。相部屋に入る。
相部屋の中の日本人のうち、一人は1年間、もう一人は半年ほど海外を旅している人。みんな、すごい。でも、自分の自慢話ばかりするのは、やめてほしい。

 とにかく、とりあえず、カトマンドゥに着きました。

2月8日(金)
カトマンドゥ滞在

 今日は、町の中をブラブラ歩く。先輩の西胤さんが昨年ネパールに来た時に世話になったというネパール人のプルナさんとアチェット君を探すが、どちらとも店にいなかった。まあ、明日、探そう。
 ところで、カトマンドゥの印象は、なんというかいきいきとした感じする町だ。いったい、みんな何をやっているのか知らないが、たくさんの人がいる。道路には、自転車、車、リキシャ、牛がうろうろしている。ゾウもいたなあ。みやげ物屋やバザールには、人々がたむろして、うだうだしている。いろいろなものが売られている。
 しかし、いったいなんなんだろう。何か今ひとつカルチャーショックがない。西胤さんにネパールの話を聞きすぎたからだろうか。


2月9日(土)
カトマンドゥ滞在

今日もまたウダウダと市内をぶらつき過ごす

2月10日(日)
カトマンドゥ滞在

 今日はイミグレーションオフィスに行ってビザの延長手続きを済ませる。心配していたが、すんなりと手続き終了。それから、やっとプルナさんに会えた。彼の店の場所が西胤さんから聞いていた場所と変わっていたため、いままで会えなかったのだ。とにかく、会えてよかった。彼は日本語も話せるし、とてもいい人のようだ。明日から2泊ほど彼の自宅に泊めてもらうことになる。

2月11日(月)
カトマンドゥ市・ストーンハウスロッジ → パタン市・プルナさんの自宅

 ついにストーンハウスロッジを出る。自慢話ばかりする同室の日本人も嫌だ。
 現在、公園でぼけーとしています。
 さて、今日、ネパールの少年が俺にいろいろ話しかけてきて、なかなかいい奴だと思って気を許していたら、結局、彼の店に連れていかれ、絨毯やジャケットを買えとすすめられた。もちろん、断ったけど。でも、彼がかわいそうだったので、その店で両替してやった。ネパール人にどこまで気を許せばいいのかわからない。あまり、警戒ばかりしていると友達はできないし、かといって、へたをするとだまされてしまう。難しいもんだ!
 今日、プルナさんの自宅に行く。



2月12日(火)
パタン滞在&スワンヤブー見学

 昨日はプルナさんの家に連れていってもらって、いろいろと歓待を受けた。プルナさんも弟のパンチャ君もみんないい人だ。二人とも日本語を話せるし、ほんとうに親しい友人ができたという感じだ。
 カトマンドゥの茶店でネパール人の若者が俺に声をかけてきて、すぐに意気投合。彼らは日本語も話せるし、偶然にもプルナさんやパンチャ君の友人だったのだ。なんだか、いい一日だった。
 ところで、今日はネパールの観光名所「スワンヤブー寺院」に行ってきた。カトマンドゥ市内が一望でき、なかなかよかった。それに寺院に描かれた「眼」も実物を目の前で見てみるとすごいもんだ。ただ、乞食のバクシーシ(寄進)の嵐はたまらなかった。
 やっぱり、カトマンドゥはいいね。バザールといい、公園といい、毎日、ぶらついても飽きない。

2月13日(水)
パタン滞在



2月14日(木)
パタン → カトマンドゥ → (バス) → ポカラ・スルジェハウス

 とうとうポカラにやってきた。夕方、ポカラから見えたマチャプチャレとアンナプルナの山容が凄い迫力で目の前に迫ってきた。もう、たまらない。やっぱり、山はいい。できたら、山を眺めながら歩くトレッキングよりピークを踏んでみたいなあ。まあ、俺には無理だけど。
 ところで、風邪をひいたみたいだ。

2月15日(金)
ポカラ・スルジェハウス滞在

2月16日(土)
ポカラ・スルジェハウス → ダルマハウス

2月17日(日)
ポカラ・ダルマハウス滞在

2月18日(月)
ポカラ・ダルマハウス滞在

 16日の深夜、突然、激しい胃痛と下痢、吐き気に襲われる。もう、すさまじかった。死ぬのではないかと思われるくらい。たぶん、その日、風邪気味のうえ、胃の調子が良くなかったのに、水牛のステーキを食べたのが原因だろう。結局、すべて吐いてしまった。
 そして、次の日は、胃痛はおさまったが、下痢がひどく、38度の熱もでてきた。ほんとうにひどかった。一昨日から、日本人ばかりいるスルジェハウスを出て、一人でダルマハウスというロッジに泊まっているが、日本人は俺一人で、話相手もなく、ほんとうに不安だった。とらあえず、昨日一日はベットでずっと寝ていた。
 今日になって、熱も下がったが、下痢はまだ治っていない。今日一日ゆっくりしていれば、治ってくれるだろう。もう、病気はいやだ。

 ところで、もうネパールに飽きてきた感じ。そろそろ日本に帰りたいなあ。まだ、2週間もたっていないけど、こう毎日ぼけーとしていると、なんだかむなしくなってきる。やっぱり、早いとこトレッキングに行こう。そうすれば、ピシーと気合いが入るかもしれない。

 大決心
 1.腹は八分目におさえること
 2.飲み物は一日4杯まで
 3.タバコをやめる
   もう、下痢はいやだ!

2月19日(火)
ポカラ・ダルマハウス → スルジェハウス

2月20日(水)
ポカラ・スルジェハウス滞在

2月21日(木)
ポカラ・スルジェハウス滞在

2月22日(金)
ポカラ・スルジェハウス滞在

2月23日(土) 晴
ポカラ・スルジェハウス → ジープ乗り場 →(乗り合いジープ)→フェディ(12:00) → チャンドラコット(16:20)

 ついにトレッキングに出発。コースは聖地ムクチィナート折り返しのジョムソン街道。アンナプルナやダウラギリを眺めることができるコースだ。最初は一人で行くつもりだったが、スルジェハウスで知り合った青山学院大学の原君と一緒に行くことにする。まあ、なかなかいい奴なので、けっこう楽しい。
 トレッキングコースは、石段の道があったりして、もうりっぱな道。危ないところはひとつもない。ナウダンダまでの急な登りはちょっときつかったが、あとはなんとか楽なコースだった。ただ、暑いのと久しぶりの歩きなので、もう、かなり疲れた。
 ところで、宿泊地では、小学校に演劇団がきていて、村人たちといっしょに踊りや演劇を鑑賞する。言葉はわからなかったけど、なんとなくほのぼとした雰囲気が良かった。

2月24日(日) 晴
チャンドラコット(8:00) → ビレンタティ → ヒレ → ティルケドゥンガ → ウレリ(15:45)

 チャンドラコットからの下りは、膝が笑い出しそうなものすごい下り坂。もちろん、膝はガクガクだ。そのあと、ティルケドゥンガまでは、川沿いの多少アップダウンがある普通の道。でも、荷物を運ぶロバ隊が歩いているので、それを追い越すのにひと苦労する。最初の予定では、ゴラパニまで行く予定だったが、時間的にも体力的にも無理なので、ウレリで宿泊することにする。そこで、途中のティルケドゥンガでゆっくり昼食をとり、楽勝のつもりでウレリに向かったが、これがまた泣きたくなるような急登。二人ともヘトヘトになりながら、何回も休憩を繰り返し、やっとのことでウレリに到着。
 ウレリのロッジでは、たくさんの欧米人トレッカーが泊まっていたが、語学力のない悲しさで、欧米人グループの会話には入っていけない。それでも、ドイツ人とは少しばかり英語で会話をかわす。しかし、やっぱり、深いコミュニケーションはとれない。もっと、英語を勉強しなくては。
 ただ、ネパール人とのコミュニケーションは楽しかった。最初のうちは子供たちにネパールの歌を教えてもらっていたが、そのあとは、大人のネパール人にネパール語を教えてもらったり、逆に日本語を教えたりして、ネパール人との交流を楽しんだ。なんとなく、同じアジア人同士なんだなあとつくづく実感する。

2月25日(月) 晴
ウレリ(9:00) → ナヤタンティ → ゴラパニ峠 → ヒルトップロッジ(15:15)

 朝は山の間からアンナプルナサウスが臨まれる。やっぱり、ヒマラヤの山は大きい。ウレリからは、最初のうちは昨日の続きの石段の急な登りだったが、途中からは樹林帯のなだらかな登りとなる。途中、沈丁花の花が咲いていて、その香りが山道に匂ってくる。道は川沿いに続いており、途中、小さな谷を渡ったりすると、なんだか京都の北山あたりを歩いているような感じである。
 ゴラパニ峠には、思っていたよりも早く到着。そのあと、峠からダウラギリが眺望できるプーンヒルに向かって登り、一番、山の眺望がいいと言われているヒルトップロッジに到着。さすがにここからの山の眺めは最高。午後なので、多少、雲が多いが、それでもアンナプルナサウスや、今回のトレッキングではじめて見るダウラギリが一望できる。山々が物凄い重量感で俺達の目の前に迫ってくる感じだ。さすがにネパールだ。
 この晩、単独行の日本人もいて、楽しい夜になるはずだったが、晩飯を食ったら、急に胃が痛み出す。結局、一人だけ早々とベットで横になる。どうも、胃の調子が悪い。もしかすると、胃潰瘍や十二指腸潰瘍にでもなっているのかもしれない。どうも、今日は朝から食べ過ぎのようだ。下痢はまだ治っていないし。やっぱり、体が一番大切。ちょっとでも調子が悪いとせっかくのトレッキングが台無しになってしまう。

2月26日(火) 晴
ヒルトップロッジ(9:25) → シカ → タトパニ(15:30)

 朝、プーンヒルに登る。昨日のロッジからの眺めとは、比べものにならないくらい素晴らしい。ダウラギリ、ニルギリ、アンナサウス、マチャプチャレなど8000m級の山々がずっと見渡せる。もう、日本の北アルプスの比ではない。8000m級の山々が大きくそびえ立っているのだ。もう、最高。二度とこんな景色は見ることはないだろう。もう、力いっぱい写真を撮りまくった。
 ゴラパニからタトパニまではずっと下り。最初の頃はまだ調子がよかったが、途中からはあまりにも長い下りに疲れてくる。でも、途中に咲いているラリーグラス(日本の石楠花の大木)の花はとてもきれいだった。
 タトパニにでは、村の中心部に向かわず、川沿いに少し下った方向に進み、ジョアイゲストハウスに宿泊。なぜ、このロッジを選んだかというと、温泉(露天風呂)に一番近いからだ。なんと、このタトパニには、温泉の露天風呂があるのだ。タトパニとは、ネパール語で「熱い水」という意味なのである。
 ロッジに荷物を置いて、少し歩いてからさっそく露天風呂に入る。露天風呂はちょっと砂が混じっていて濁っていたが、まさしく天然温泉。風呂に入るなんて何日ぶりだろう。地元の村人もけっこう入浴していて混んでいたが、とにかく、最高。今までの疲れがふっとんだという感じだ。

 今日、26日は祖父の命日だ(※注:実はこのとき勘違いしていて、実際の命日は27日だった)。一回忌だ。祖父が亡くなってもう1年が過ぎてしまった。早いものだ。亡くなった祖父は、若い頃、外国航路で働いていて、ヨーロッパやアメリカなどに行ったことがあり、いつも、俺に外国をみてこいと俺に言っていたが、皮肉なことに、俺は祖父の命日を異国の地:ネパールでむかえている。昨年、祖父が亡くなったとき、俺はそんなことも知らずに一人で四国・九州を自転車で旅していた。自転車の旅に出発する前に、祖父が入院していたことを知っていたが、たぶん、大丈夫だろうと思って一人で旅立った俺。ほんとうに悪い奴だようなあ。俺って人間は・・・・。
 でも、祖父を愛していた気持ちは誰にも負けないつもりだ。
 今日、祖父のことを一人で考えていたら、なんとなく、涙が流れてきた。
 俺はじいちゃんの分までがんばるぜ!じいちゃん、天国で俺を見守っていてくれ!

2月27日(水) 曇り
タトパニ滞在

 今日はかねてからの予定どおり、休養日。朝から温泉に行き、たっぷり疲れをとってから洗濯。お昼ごろは、アップルパイを食べるために村の中心部へ行く。結局、アップルパイはなかったが、久しぶりのフルーツカードミューズリ(ナッツ入りフルーツヨーグルト)を食べることができたので大感激。それにもうひとつうれしい出来事は、なんと久しぶりに固いウンコが出たのだ。ついに下痢ともおさらばだ。やっぱり、トレッキングにでて、毎日歩いて、規則正しい生活をおくったからだろう。考えてみれば、カトマンドゥやポカラでは腐った生活をおくりすぎた。やっぱり、歩くということはいいことだ。
 ところで、今日は旅に出てちょうど3週間目。なんだか、あっという間に時が過ぎたような気がする。でも、まだ、旅の日程の半分もいっていない。まだまだ、旅は続くのだ。今のところ、ネパールに来てよかったという感じが強い。ポカラで病気になったときは、「なんでネパールに来たんだろう。早く日本に帰りたい!」という気持ちが強かったが、今は全く逆。毎日、ヒマラヤの山々を見ながら歩くことが楽しくてしょうがない。食欲もあるし、ネパール人とのコミュニケーションも楽しい。
 やっぱり、ネパールは楽しい!

 夕方、二人で外で自炊する。ロッジの人には悪いが、たまには焚き火をして日本食を食ってみたい。メニューはジフィーズ(登山用フリーズドライ食糧)の五目飯、天丼、そして、村で買ってきた卵で作ったスクランブルエッグ、そして、味噌汁。もう、最高。夕食後、二人で温泉に行く。さすがに夜なので誰もいない。聞こえてくるのはカリーガンダキの川の流れの音だけ。誰にも邪魔されず、大自然の中の露天風呂。これ以上の幸福がどこにあるのだろうか?

2月28日(木) 晴
タトパニ(9:05) → ダナ → ガサ(16:25)

 出発前は、ガサまではわりと楽勝気分でいたが、とんだ大間違い。もうメチャクチャ疲れた。最初のうちは、わりと調子よく進んだが、ダナを過ぎてからの分岐で、右岸と左岸にそれぞれ道があり、右岸の道のほうが平坦そうに見えたのだが、なぜか左岸の道を進んでしまい、その道がドツボ。けっこうきつい登りが続き、おまけに太陽がサンサンと照りつけ、もう死ぬほどバテてしまった。さらに、下り坂で足を少し痛めてしまう。
 でも、ガサのロッジでついに念願のアップルパイを食べることができ大満足。また、ロッジの食事もなかなかおしかった。
 ところで、あともう少しで目的地のムクチィナートに着く。けっこう早いものだ。山歩きはいつも単独なのだが、今回は二人。ふつう二人でいると途中で相手が嫌になるのだが、今回はなぜかうまくいっている。お互い、あまりしゃべらないが、なんとなく気が合うようだ。まあ、このまま、なんとかうまくやっていきたい。

3月1日(金) 晴
ガサ(8:05) → レテ → カロパニ → ラジュング → ツクチェ(15:10)

 レテまでは多少の登りがある谷沿いの道。レテの手前で分岐があって谷沿いの道とつり橋を渡る道に分かれる。地図でみると谷沿いの道が正しそうだが、実はつり橋を渡る道のほうが正しい。ここで、どちらの道を行くべきか悩んでしまい、かなりのロスタイム。レテからは、少し坂を上るだけで、あとは平坦な道。カロパニあたりからは、正面にダウラギリやツクチェピークなどが見え始め、歩いてきた方向を振り返ると、アンナプルナなどの山々が見え、四方八方、白く雪をかぶった山々が見渡せる。もう、カロパニは最高の場所だった。カロパニで食べたアップルパイも最高の味だった。
 カロパニから少し歩くと、あとはカリーガンダキ(ガンダキ川)の河原を歩くルートとなる。登りがなくて楽だが、石だらけなので、足の裏が痛くなる。
 宿泊地のツクチェ村は、タカリー族の住む村で、完全にチベット的な雰囲気。家は平屋根で、どの家にもタルチョーがなびいている。村人の顔立ちは完全にチベット族。いよいよチベット国境に近づいてきたという感じ。ムクティナートまであと2日。がんばるぜ!
 ところで、食い過ぎで苦しい。もう、何もやりたくない。トレッキングに出てからの楽しみは、食うことのみ。原君との会話も食べ物のことばかり。特に今は絶対に食べることができない日本の食べ物の話になると、二人とも熱が入ってくる。ネパールの食べ物はまずくはないのだが、油が強烈でどうもなじめない。あー。早く日本に帰ってうまいものが食いたい!
 話は変わるが、ここツクチェ村は電気がつくのだ。ロッジの人によると、近くのニルギリ川にダムと発電所があるそうだ。ネパール人もなかなかやるもんだ!


3月2日(土) 晴
ツクチェ(9:30) → マルファ → ジョムソン(13:50)

                                荒涼とした大地を歩く相棒の後ろ姿
 今日はジョムソンまでの短い道のりなので、のんびりと出発。ルートは昨日と同じ広い河原の道だが、風景は荒涼としたチベット的な感じ。赤茶けた岩肌を身にまとった岩山が両岸にそびえ立っている。そして、岩山の奥には、すぐまじかに真っ白な雪をかぶったニルギリが見える。とうとうチベットに近づいてきたという感じだ。ジョムソンまでの道は平坦で楽だったが、風が強いのにはまいった。砂ぼこりが舞って、全身ほこりまみれだ。
 ジョムソンには2時前に到着。ジョムソンは飛行場があると聞いていたので、大きな村だと思っていたが、実際は小さな村。飛行場なんか河原にあるグランドという感じがする。
 ところで、ジョムソンのロッジで、ゴラパニで知り合ったアメリカ人とまたいっしょになる。彼の話によれば、今年は、標高5380mのトロンパスの雪が非常に少ないそうだ。この話を聞いて、原君と俺の間で急にトロンパスを超えてアンナプルナ街道一周コースの構想が登場してきた。日程的には、トレッキングパーミット期間ぎりぎりではあるが、なんとなく実現できそうな気がする。でも、はたして、標高が5000m以上あるトロンパスを超えることができるのだろうか?
いちおう、二人で話し合った結果、トロンパスに挑戦し、できるだけ進んでみようということになった。もちろん、無理なようならばすぐに引き返すという条件付きである。できるなら、同じ道を引き返してポカラに帰るより、アンナプルナ街道を一周してみたい。そして、標高5380mの峠に立ってみたいものだ。

3月3日(日) 晴
ジョムソン(8:30) → エクレバティ → ジャルコット(15:45)

 今日も最初のうちは相変わらずの河原道。道はまっすぐで楽だが、石が多いので足の裏が痛くなる。道の途中で小さな橋を渡るのだが、それを見過ごしてしまい、多少のロスタイム。カクベニとジャルコットの分岐からは登り道。久しぶりの登り道なのと標高が高いため、とても疲れる。途中からジャルコットの村が見え始め、もうすぐ到着するだろうと思ったら、とんだ大間違い。さすがに山のスケールが大きいだけに距離感が全然違い、かなりの時間がかかる。途中の小川のほとりで二人とも疲れきり、思わず1時間ばかりの昼寝。最高の気分だった。トロンパスの方向には、雪をかぶったダウラギリの北東面が望まれる。これぞ至上の幸福!
 ところで、トロンパスのほうは、見たところ雪がほとんどない。これで雪の障害は心配しなくていいが、やっぱり、かなりの登りだ。高度差1700m。もちろん、峠の向こう側はトロンフェディまで村はない。はたして、あの峠を越えることができるのであるおうか?日本では絶対に味わうことのできない標高5400mの世界。なんとかして、あおの峠の上に立ち、アンナプルナ街道を一周してみたいものだ。
 がんばるぞ!

 ロッジでまた一緒になったアメリカ人のコーネルさんと親しくなる。彼は2ヵ月後に日本に来て英語の教師をやるつもりだというので、彼に自分の住所と電話番号を教える。なんとなく、外国人と友達になるのは、うれしいもんだ!

3月4日(月) 晴
 ジャルコット(7:30)  → ムクチィナート → 途中の茶店(10:20〜17:00) → ムクチィナート(18:10)

 朝、5時に起床して気合いを入れて出発。最初は絶対にトロンパスを越えて、トロンフェディに行くつもりだった。しかし、登るにつれ、頭痛が激しくなり、呼吸が非常に苦しくなる。いわゆる高山病の症状。二人とも3時間歩いただけで、もうへとへとにバテてしまい、もうダウン。運よく途中に茶店があり、そこでお茶を飲みながら店のおばさんにトロンフェディまでの時間を聞くと、今からだと到着するのは夕方の5時ごろになると言う。これを聞いて二人とも完全に力を失い、理屈をつけて、ついにトロンパス超えを断念。二人でお昼にラーメンをつくり、そのあとは昼寝。空は日本では見ることができないような真っ青な色、目の前はヒマラヤの山々が連なっている。もう、最高の気分!
 しかしながら、あれだけ、昨日、一昨日と気合いを入れながら、あっさりと理屈をつけて挫折してしまうとは、我ながら関心する。相変わらず、俺はいい加減だなあ。まあ、別にいいではないか。今回、トロンパスを越えれなくても、山は逃げはしない。また、いつの日か来るさ!だいたい、こっち側のルートはハード過ぎる。向こう側からは多くのトレッカーがやってくるといういうことは、向こう側から登るほうが楽なのではないか。トロンパスに雪がないと知っていたら、もちろん向こう側からアンナプルナ一周を目指したのだが・・・・。
 いまさら、言い訳を言ってもしょうがない。最初の予定では、ムクティナート折り返しだったのだから。しかし、ロッジで会った人達にトロンパスを超えると言っておきながら、こうすんなりと引き返してはちょっと決まりが悪い。まあ、いいか。
 とろこで、途中にあった茶店のおばさんは非常にいい感じの人だった。どんどんお茶を持ってきたり、スカーフを売りつけようとしたりする商魂はあるけど、日本人そっくりの顔立ちとその笑顔がたまらなく素敵だった。おばさんとはあまり言葉は通じなかったど、チベット語の数字の読み方などをいろいろ教えてもらったして、楽しかった。
 まあ、トロンパス超えは挫折したけど、大自然の中で昼寝もできたし、よかったんじゃないだろうか。
 さあ、明日からの折り返しもがんばるぞ!

3月5日(火) 晴
 ムクチィナート → エルクバティ → ジョムソン
         (3:00)        (1:30)
 
 今日もまた挫折。ほんとうはマルファまで行くつもりだったが、風がとても強く、さらにその風が向かい風。エルクバティからジョムソンまでの河原道は、その向かい風のため、とても疲れた。それで、なんとなく元気がなくなって、この前宿泊したロッジで思わず沈没。まあ、いいか。明日、がんばればいいさ!
 とりあえず、折り返しの後半戦が始まった。同じ道をまた歩くのは、面白味に欠けるが、また、タトパニで温泉に入れるかと思うと非常にうれしいのだ。まあ、1週間くらいでポカラに帰ることができるだろう。




                                聖地・ムクティナート

3月6日(水) 晴のち雨
 ジョムソン   → マルファ → ツクチェ → ラジュング → カロパニ
         (1:00)    (1:10)     (1:00)      (1:30)

 今日は久しぶりの雨。久しぶりの雨もうれしかったが、歩いている途中で降り出したので、なかなか難儀した。日本からせっかく持ってきたレインウェアをトレッキング中、どこかのロッジで忘れてきたため、シュラーフカバーを雨具かわりにして歩くはめになった。
 ところで、今日は日本を出発してからちょうど1ヶ月目。せっかく、記念すべき日だったのに、朝から気分が悪い。その原因はジョンソンのロッジで一緒だった白人女のせいだ。彼女は、愛想が悪いうえに傲慢で、おまけにブスなのだ。昨日も道の途中で、傲慢な態度で早口の英語で俺達に道を聞きやがる。そして、ロッジでは、俺のライターを借りときながら礼も言わない。今朝は自分の使った毛布をわざと俺のベットの上においておきやがる。非常に腹の立つ女だ。その女のせいで、今日は何から何までついていない。マルファで買ったリンゴは中身がほとんど腐っているし、雨には降られるし、なんとなく風邪をひいたみたいだし、カロパニでは山は見えないし、靴擦れはするし・・・・
 ついていないなあ。まあ、明日はここでゆっくり休養しよう。そして、そろそろ将来のことを真剣に考えよう。とりあえず、4月からの就職活動について考えてみるしかない。公務員か民間か?今度こそ真剣に決めないとずるずるといってしまいそうだ!

3月7日(木) 晴のちくもり一時雨
カロパニ停滞・休養日

 久しぶりの休養日でカロパニで停滞。今日はヒンズー教のお祭りなので、朝から凄まじい闘い。このホーリーというお祭りは、まったくの無礼講でお互いに赤い粉をかけ合うというもので、朝から村じゅうのあっちこっちで、大人から子供にいたるまで赤い粉をつける歓声が響いている。外国人には無理にはつけないけど、俺達は面白そうなので、1回だけつけてもらう。すると、あとから子供たちが集まってきて、俺達の顔じゅうに赤い粉を塗りつける。とくに、ロッジの3人姉妹のうち二人は喜び勇んでやってきて粉を塗りつける。そして、もう二人の近所の悪ガキどもも。まあ、顔じゅう真っ赤にされたけど、けっこう楽しかった。

3月8日(金) 晴
カロパニ → レテ → ガサ → ダナ → タトパニ
     (0:30)  (1:00)   (2:00)  (1:30)

 だるかった!
 I  AM  VERY  TIRED!
 やっと温泉に入れた!

3月9日(土) 晴
タトパニ → ガラ → シカ
   (2:00)    (0:30)

 メチャクチャ暑い。バテた。昨日の疲れが残っている。お茶を飲みすぎた。明日はゴラパニまで気合いを入れてがんばるぞ!

3月10日(日) 晴
シカ → チトレ → ゴラパニ
  (1:30)    (1:10)

 思っていたよりゴラパニは近かった。久しぶりにチトレから一人で歩いたが、一人歩きは気持ちがいい。一人でラリーグラスの森の中をぶらぶら歩いていると、今まで以上に自然が身近に迫ってくるような気がする。今までずっと二人で歩いてきたけれど、どうも最近マンネリ気味か疲れのせいかうまくいかない。彼は歩くのは早いけれど、休憩時間はたっぷりとるタイプだし、俺は歩くのは遅いけど、休憩時間は短くとってなるべく早めに宿泊地につくタイプ。今までお互いになんとなく妥協しあってきたけれど、最近、、疲れのせいかうまくあわせることができない。彼のほうも、いつも、俺のせかせかした性格にうんざりしていると思うけど、けっこううまくあわせてくれる。俺はどうもわがままな性格のためかどうも最近我慢できない。
 やっぱり、一人で山を歩くほうがいい。今まで彼と一緒にいてずいぶん楽しかったけど、最後にこんな感情が出てくるのは嫌なものだ。でも、悪いのは俺のほうだろう。俺がもっと広い心でいればいいのだ。明日からは今までと同じように二人で歩こう。それに明日からのコースは一人でいると強盗に襲われる危険性が高いところ。最後にきて強盗なんかに襲われたらたまらない。





3月11日(月) 晴のち曇り
ゴラパニ → バンタンティ → タラパニ → ガンドルン
     (2:00)       (1:00)     (1:30)

 久しぶりにプーンヒルに登り、ヒマラヤの山々を眺める。この前眺めたときほどの感動はないが、やっぱりすごい。ダウラギリ、ニルギリ、アンナサウス、ヒマンチュリ、マチャプチャレなどが見渡される。最近、高い山に飽きてきた感じだけど、やっぱり、こうやって一度に見渡すと素晴らしい。
 ゴラパニからタラパニまでは、来る時と違ったコースで歩くことにする。コースのほとんどはラリーグラスの森の中。昨日歩いたコースのラリーグラスもよかったが、今日のコースのほうがそれ以上の規模で花が咲いている。真っ赤な花やピンクの花がラリーグラスの大木に満開になって咲いている。昨日までの乾いた風景とはまったく違った感じで、とても気持ちよく美しさが伝わってくる。
 だが、今日のコースはなかなか辛かった。最初が緩い登り、次は急な下り、その次は急激な登り、そして、最後がダラダラとした下り。この最後の下りが死ぬほどだるかった。
 ところで、トレッキングも残すところ、あと2日。あっという間に17日間が過ぎてしまったような気がする。トレッキング自体はとてもよかったのだが、食い物がそろそろ飽きてきた。何かうまい物が食べたい。早くポカラに帰りたい。そして、カトマンドゥで日本食が食べたい。ビールが飲みたい。風呂に入りたい。まあ、とりあえず、あと2日、がんばって歩きましょう!

3月12日(火) 晴
ガンドルン → ランドルン → トルカ → デオラリ → ポタナ
     (1:30)       (1:20)   (1:10)     (0:20)

 今日はトレッキング中、最悪な日。ついてないことが次々と発生し、めちゃくちゃtired!まず、最初はガンドルンから道を間違えてしまい、30分以上のロスタイム。ランドルンとビレタンティへの分岐が何も書いてなかったので、その分岐を見落としてしまったのだ。これが今日の運の悪さの始まり。ランドルンまでの物凄い下りと上りでとても疲れてしまう。そのあと、メディカラまでは平坦だが、2回も分岐があってそこで悩んでしまい、ロスタイム。メディカラでは、極めつけの最悪。アメリカ人の大名行列部隊がメディカラでサイトしており、その4人が、空腹で死にそうな俺達がやっと見つけたレストランで、ビールを飲み、そして、12,13人のポーターたちのサーダー(チーフ)らしきネパール人が俺たちにからんできる。レストランは、この団体のために大忙しで俺たちの昼飯を作る余裕なし。俺達はしかたなく外でビスケットとブラックティーで腹の虫をおさえていると、俺達の周りに近所のガキどもが集まってきて、その中に赤ん坊を背負った女の子がいたのだが、その赤ん坊がいきなりオシッコを漏らし、俺のザックにかかってしまう。まことに運が悪い。

 もう腹が立ったので、早々にその場を立ち去り、西胤さんに頼まれた写真を渡すためにトルカに向かったのだが、トルカでは、写真を渡す先のマヤロッジが発見できず、次の村まで行ってしまう。次の村の一軒茶屋で、その写真を見せると、マヤロッジを知っているので、その写真を本人に渡してくれるという。ただで頼むのは悪いと思ったので、御礼に使い捨てカイロをプレゼント。しかし、これが失敗のもと。一応、たどたどしい英語で「これはヒーターだ」と言ったつもりだが、その茶屋を過ぎて急坂を20分くらい登ったところで、「もしかしたら、茶屋のネパール人は、カイロを薬だと思って飲むかもしれない」と急に心配になりだし、気になりだしたら止まらない。原君が待っていてくれるというので、今来た急坂を駆け下り、茶屋に戻り、「これは薬じゃない。飲んだらをダメ。」と言ったら、むこうはもちろん了解済みだったという結末。ようするに俺の心配のし過ぎだったというわけ!また、急いで急坂を登ると、もう死ぬほど汗が出て、メチャクチャバテる。

 そういうわけで、もうかなり日が暮れてしまい、結局、ダンプスはあきらめ、ポタナで泊まる。ポタナは食べ物が最高にうまかったが、ロッジの裏では、サイトしている日本人パーティーが酒を飲んで騒いでいる。

 うるさいぞ!

 というわけで、私はとても疲れています。ほんとうにひどい一日!でも、明日はポカラに帰れるぞ!

3月13日(水) 晴
ポタナ → ダンプス  → フェディ→(ジープ)→ ポカラ・ダムサイト(ホテルヤド)

 ポタナからは思ったより早くフェディに到着。フェディに着いた瞬間、思わず、ついにトレッキングをやり終えたんだなあという充実感が湧いてくる。考えてみれば、ほんとうに長かったなあ。19日間もずっと山の中に入り、毎日、7時前には起床し、三食きっちりと食事を取り、そして、歩き、夜9時前にはきちんと寝るという聖人君子のような生活。山は最高によかったし、ジョムソンあたりの荒涼とした風景も感激的だった。身体の調子も良かったし。今回のネパールの旅で一番思い出深いものになりそうだ。相棒の原君とも一時期きまずくなりかけた時もあったけど、ずいぶん一緒に楽しんできた。それに、彼からいろいろなことを教えられたような気がする。どうも、俺はせっかちで小心で、潔癖症的な性格をしているが、彼は俺と一つしか歳が違わないのに、ずいぶんと落ち着き、のんびりと構えている。俺も彼みたいに落ち着き、どかーと腰をすえ、のんびりと構えられる人間になりたいものだ。どうも、俺は小さいことが気になり、明日のことばかり心配している。
 まあ、のんびりしようじゃないか。明日は明日の風が吹く!

3月14日(木) 晴
ポカラ・ダムサイト(ホテルヤド) → ポカラ・レイクサイト(スルジェハウス)

 ホテルヤドを出て、スルジェハウスに行く。もう、知った旅人はいないと思っていたが、中村のおっさん、帯広畜産大学の鈴木君、そして、初日にスルジェハウスで一緒だった兄ちゃんと再会。なんとなく、帰ってきたなあという感じが湧き上がってきる。でも、日本人の旅人はかなりの人数が泊まっている。そのうち、かなりの人数がDST(ダイヤモンド・スチューデント・ツアーの略=いわゆる学生を対象とした格安パックツアー)で旅している若い学生。彼らとはどうも話を合わせる気がしない。かといって、長期の旅人は、○○○ばかりやっていて、なかなかずっと付き合うのはきつい。でも、同室のおじさんはなかなか話しやすい人でおもしろい。
 ところで、ひさしぶりに○○をする。久しぶりなので、かなり強烈。たしかに気持ちはいいけど、あんまりやりたくないや。

3月15日(金) 晴
ポカラ・スルジェハウス滞在

 朝からぼーとしている。唯一の仕事はイミグレーションに行くこと。50ドルのバンクレシートではビザの延長が不安だったが、すんなりとOK。そのかわり、ランタン谷トレッキングのパーミットはくれなかった。
 ところで、昨日からどうも胃の調子が悪い。やっぱり、昨日、一昨日と食べ過ぎたからだろうか。もう一度、トレッキングに行こうか?

3月16日(土) 晴
ポカラ・スルジェハウス滞在

3月17日(日) 晴
ポカラ・スルジェハウス滞在

 ポカラの夕陽はきれいだ。一昨日から、毎日決まった時間に夕陽を見てぼけーとしている。夕陽はなぜか神秘的。空が赤く染まり、そして、その赤が湖面に映っている。風が吹くと湖面が波立ち、赤色が揺れる。夕陽の沈むのを見ていると、その日一日のいろいろなこと、頭にこびりついたカビみたいなものが洗い流されるような気がする。
 どうも、俺は多くのものに縛られすぎているような気がする。夕陽を見ている瞬間だけ俺はすべての束縛から解き放たれ、自由になったような気がする。

3月18日(月) 晴
ポカラ・スルジェハウス →(バス)→バイラワ →(バス)→ ルンビニー

 予想通りルンビニーには何もない。テンプル(寺院)があるだけ。お釈迦様の生誕地なので、もう少し神秘的なイメージを想像していたが、ただ広い公園という感じ。かなり整備されていてきれいだ。あっちこっちで、まだ何かを建設中。ネパール政府の計画では、ここをエルサレムのような一大聖地にするつもりらしい。
 とりあえず、暑い。死にそうだ。
 バスはとても疲れた。
 地平線に沈む夕陽を楽しみにしていたが、だめだった。夕陽が赤くならないじゃないか。





                               釈迦の生まれた地
3月19日(火) 晴
ルンビニー滞在

 朝からぼけーとしている。このルンビニーには、ほんとうに静かだ。まだ、観光地化されていないせいか、物売りもやってこないし、子供たちも純粋だ。子供たちとは、一緒にバレーボールをして遊ぶ。また、大人たちもカトマンドゥのようにうるさく近寄ってこない。こんなに静かでのんびりできるところはないだろう。
 広い大地で、木陰の下で読書。非常に気持ちがいい。特に今読んでいる本は、仏陀の生誕地ルンビニーにふさわしく「般若心経講義」という仏教の本。なかなかおもしろい。
 夕方、日本人2人がやってくる。一人はトレッキング中に出会った女の子。昼間はひとりのほうがいいけど、やっぱり夜は話し相手がいたほうがいい。

3月20日(水) 晴
ルンビニー滞在

 今日もまた一日中ぼけーとしている。今日、ヘンリー・デビット・ソロー著の「森の生活」(※ バックパッキングのバイブルといわれている本)と「般若心経講義」を読んで感じたことをもとに、いろいろなことを考えた。その結論がでた。俺はあまりにも多くのものに縛られすぎている。時間、空間、物質、世間、他人、道徳などといったものにがんじがらめになっている。そのために、いつも何かを気にし、わが身を心配しながら生きている。せっかく生まれてきたのに、こんなに不自由ではたまらない。もっと自由で自然な生き方があるはずだ。仏陀の教えによれば、この世のすべてのものはそれ自体独立して存在しているのではなく、すべて因縁によって仮の姿でとして存在している。すなわち、色即是空。そして、人々の悩みが生じるのは、「もの」に執着するからだ。どうも、俺は「もの」に執着している。そのために、自由を奪われているのだ。もっと自然に生きよう。せっかく生まれてきたんだし、生きていることに感謝しよう。「生」を思いっきり味わおう。
  「人生は一遍の詩」 

3月19日(火) 晴
ルンビニー →(バス)→  バイワラ

 午前中、ルンビニー開発センターで、ルンビニーの開発計画を聞く。10年後までにマヤデビテンプルを中心に、大きな池と運河を作り、それとともに、ホテル、レストラン、そして、仏教国各国(日本、タイ、ビルマ、インド、シンガポール、スリランカ等)のそれぞれの寺院を作るそうだ。いわば、ルンビニーを仏教の一大聖地にしようという計画らしい。そして、現在、いろいろと工事をしている。
 なんだか、寂しい気持ちがする。そんな大規模な聖地にしてしまえば、このルンビニーは大きな観光地となり、多くの外国人が訪れるようになるだろう。そうなれば、たしかにたくさんのお金をルンビニーに落としていくことになるだろうが、それとともに、ルンビニーの住民の心も変わっていくだろう。今は純粋な心を持つルンビニーの人達も、カトマンドゥやポカラのネパール人のように外国人相手に○○を売ったり、物乞いをしたりするようになるだろう。
 ルンビニーはやっぱり今のままのほうがいい。人の心はすさんでいない。この何もない広い空間が俺達の心を落ち着かせてくれる。仏陀の生まれた場所らしく、ほんとうに心に静寂を呼び、のんびりできるのだ。どうか、ルンビニーよ、このままでいてくれ!

3月20日(水) 
 バイワラ →(バス) → ポカラ・スルジェハウス

3月21日(木) 
ポカラ・スルジェハウス滞在

3月22日(金) 
ポカラ・スルジェハウス滞在

3月23日(土) 
ポカラ・スルジェハウス滞在

3月24日(日) 
ポカラ・スルジェハウス滞在

3月25日(月) 
ポカラ・スルジェハウス滞在

3月26日(火) 
ポカラ → (バス) → カトマンドゥ

 久しぶりのカトマンドゥ。町のざわめきがなんとなく懐かしさを感じさせる。今日はバイワラ以来、久しぶりに一人になる。ポカラのスルジェハウスに戻ってからずっと日本人といっしょ。最初の頃はいいけれど、あとから、なんとなくうっとうしくなる。それに、俺はなんとなく人と付き合うのが苦手。話をするのが苦手なのだ。スルジェハウスには、2種類の人間がいる。ひとつは長期の旅人。彼らはいつも○○をやっている。もうひとつはDSTツアーでくる大学生の若い旅行者。彼らはルンルンとしながら短期間にインド、ネパールのあっちこっちを走り回っている。
 俺も学生だけど、どちらかというと長期の旅人といろいろと話をして仲良くなりたいが、どうも○○ははやりたくない。かといって、若い学生たちとキャピキャピ旅の情報交換する気にもなれない。ようするに俺は中途半端な立場なわけ。この前、スルジェハウスに泊まっていたときは、あまり、そんなことが気にならなかった。たぶん、あのときは、俺と似た立場の原君や○○をやらない武井のおっさんがいたからだろう。でも、今回は俺のようなタイプが俺一人だったので、昼間はいいが、夜はなんとなく寂しかった。特に昨夜はそのことが気になりだして、自分がむなしくなり、落ち込んでいた。
 でも、今、考えてみると、どうでもいいじゃないかと思えてくる。俺はすぐ自分を縛ってしまう。そして、他人の目を気にしてしまう。つまり、俺は優越感にひたりたいだけなのだ。長期の旅人と付き合い、○○をやっているところをDSTのツアーできている若い学生達に見せ付けたいだけなのだ。長期のの旅人の仲間入りすることによって、自分をヒッピー風にしたいだけなのだ。
 俺は俺の道を行く。長期のヒッピーの人達みたいな生き方はできないし、若い学生のキャピキャピした生き方もできない。特に、今日、バスで一緒だった日本大学の奴みたいに女の子二人を楽しそうに相手にすることもできない。
 どうも、ルンビニーで仏教の本を読んで以来、何かを悟った気分になって、背伸びばかりしていた。中身は全然変わっていないのに、外見や態度ばかり大人びようとしていた。そのために、本当の自分自身をごまかしていたようだ。仏陀の教えはそんあものじゃない。もっと、毎日を生き生きと生きることをいっているのだ。
 ただ、今までのように思いつたことをすぐに口にしたり、ニタニタ顔で人と話をするのはやめよう。もっと考えてから人と話をするように。今までの軽い態度もやめよう。

 もっと自然に生きよう。難しいことばかり考えることをやめよう。今しかできないことを精一杯やろうじゃないか。もっと自由にに人生を歩いていこうじゃないか。


 ところで、今日、GPO(郵便局)で俺宛の手紙をを受け取る。家族と友人のの佐藤君からだ。なんだか、うれしい。家族からの手紙は、「俺からの手紙がついていないので、心配している」といった内容。俺は3通も出したのに、どうなっているのだろう。でも、家族も一応俺のことは心配してくれているんだなあ。佐藤君からの手紙はいろんなことが書いてある。あいつはいい奴だ。彼みたいな友人を持てて俺は非常にうれしい。彼との付き合いはこれからも大切にしていこう。

3月27日(水) 
カトマンドゥ滞在
                                 プルナさんのお店(左がパンチャ君)
 今日は恒例の市内ぶらぶら歩き。今回はお土産物を買う目的もあるので、けっこう暇つぶしになる。久しぶりのバザールはなんともいえない独特の雰囲気がある。やっぱり、カトマンドゥはこれが一番。ダルバール広場でぼけーとするのも気持ちがいい。
 町をぶらついた後、プルナさんのお店に行く。プルナさんはいなかったが、パンチャ君が替わりに店にいた。久しぶりの再会にうれしくなる。彼の話によれば、俺が3月15日頃にカトマンドゥに帰ってくると言っていたのに、なかなか帰ってこないので、二人とも心配していたそうだ。彼らに非常に悪いことをしてしまった。
 考えてみれば、あとカトマンドゥには1週間もいないのに、全然どこも見ていない。それにリコンファームの手続きもまだだ。ポカラをもっと早く出てくるべきだった。とにかく、明日からはまたプルナさんの自宅にやっかいになることになった。
 ところで、今日はかなりの買い物。全部で300ルピーぐらいは使ったんじゃないだろうか。セーター、ククリ、小銭入れ、洋服、お面などかなり買い物をした。お土産リストの約半分は消化したと思う。多くの人から餞別をもらうのはうれしいけれど、お土産を買うのがだいへんだ。それにルピーも余ると思っていたのに、土産をいろいろ買ったら、足りなくなってきた。そろそろ両替をしなくては。

 夕方、晩飯を食いに近くのレストランに行くと、妙に親しく近づいてくるネパール人がいる。最初は少し警戒していたけど、なかなかいい奴だった。彼はこのレストランで働き大学に通っている。俺は英語を少ししか話せないので、なかなか会話はたいへんののだが、けっこう通じ合うところがある。
 しかし、ネパールの学生はみんな偉いと思う。働きながら大学に通い、けっこうまじめに勉強している。それに比べて俺達日本の学生はどうだろうか。勉強するのは試験前だけで、それ以外は高い授業料を払っているのにもかかわらず、遊んでばかりいる。そして、頭の中は空っぽだ。英語すら満足に話せない。なんと恥ずかしいのだろう。勉強なんかしないわりに、お金だけは持っていて、休暇を利用して、海外旅行をしている。ネパール人には夢のような話だ。
 今まで俺は大学というものをなんとなくモラトリアムを得るだけのものと考えてきた。しかし、せっかく、大学に入学したのに、何も学ばず、単なる就職前の空白期間、あるいは学歴を得るものとして、大学生という期間を通過していくだけとは非常に恥ずかしいことだ。4月からはもっとまじめに授業にに出席し、もっと勉強しよう。特に、自分のゼミである地域計画論についてもっと勉強しようではないか。

3月28日(木) 
カトマンドゥ → パタン・プルナさんの自宅

 カトマンドゥのホテルからプルナさんの自宅へ行く。あとは何もしていない。

3月29日(金) 
パタン・プルナさんの自宅滞在(←→ボダナート、ゴカルナ森、パシュパティナート)

 パシュパティナートに行く。思っていたほどの感動はない。やっぱり、名跡めぐりは俺にはむかないようだ。ただ、死体を焼いていた臭いはたまらなかった。
 ボダナートでは、インチキくさいヨガの行者と久しぶりに○○をやる。

3月30日(土) 
パタン・プルナさんの自宅滞在( ←→ カトマンドゥの市民プール)

 パンチャ君と市民プールに行く。ネパールには似合わないほどのりっぱなプール。水はメチャクチャ冷たい。5年ぶりくらいのプールでの水泳。もう、クロールは全くできず、もっぱら平泳ぎオンリー。久しぶりの水泳はなかなかいい運動になった。

3月31日(日) 
パタン・プルナさんの自宅滞在(←→バクタプール)

 バクタプールに行く。ここも思ったほどの感激はなかったが、今までみた観光地の中では一番いいような気がする。寺院はかなり古いもので、町自体も中世という感じがする。でも、プルナさんの話によれば、バクタプールの住民はかなり貧しいようだ。それを表すかのように、子供の乞食がとてもしつこかった。
 バクタプールに行ったあとは、カトマンドゥで土産の買い物。指輪やネックレスなどわりと高価なものを購入。餞別をもらうのはいいが、土産選びはたいへんだ。

 28日からずっとプルナさんの家に滞在している。ほんとうにこんなにずっと世話になりっぱなしでいいのだろうか。とにかく、心からプルナさんファミリーに感謝したい。

 ところで、27日の夜、突然、俺は将来への道を決心した。やっぱり、俺は富山に帰り、公務員になる。今まで将来についていろいろ悩んできたが、この日の夜、突然、神の啓示のごとく決心がついた。ここで、この決心の内容、理由を述べよう。

1.公務員を目指す理由
 大学のゼミで学んだ地域計画論を生かす立場となり、ゼミで学んだことをもとにして、我がふるさと「富山」「八尾」の発展に尽くしたい。できれば、県庁より八尾町役場のほうがやりがいがあると思うなあ。
 ※ 問題点
   はたして、日本に帰国し、わずか3ヶ月弱の勉強で公務員試験を突破できるだろうか?

2.農業への挑戦
 農業を真剣にやってみたい。農業といっても、あくまで自給自足的な農業。「森の生活」みたいに自分の食べるもの以上の分は作らない。あくまでも最低ラインの農業。それとともに、ネパール的農村生活・・・つまり、ニワトリと犬と家畜(ヤギがベスト)を飼い、無駄のない生活をしてみたい。
 こんな農業を俺一人でやるのはたいへんだから両親に手伝ってもらう必要があるだろう。そして、これを実現するためには、やっぱり時間的余裕がある公務員がベストだろう。
 ※問題点
  はたして、両親がこんな生活=昔の生活(※注 私が子供の頃は兼業農家で、自宅でヤギもニワトリも飼っており、まさしくネパール的農村生活と同じようなものだった)に戻ることに賛成するだろうか?

3.アウトドアライフの満喫
 やっぱり、自分の趣味である山登りとフライフッシングは続けていきたい。できれば、山登りを真剣にやりたい。そのためには、どこかの山岳会に入ることが必要かもしれない。そして、ロッククライミングや冬山技術をマスターしたい。そのほか、自分の力でログキャビンを作りたい。今の自宅はまだもちそうだが、けっこうボロボロだ。あれじゃ、嫁さんも来ないだろう。だから、自宅の近くに自分だけのログキャビンを作るのだ。
 ※問題点
  はたして、人の倍以上不器用な俺がログキャビンなど作れるのだろうか?

とまあ、このまえ、突然、以上にように決心したわけだが、今後、はたしてこの考えがいつ、どこで、どう変わっていくかわからない。でも、俺は20歳の頃に憧れていたヒッピーの世界には絶対についていけないし、都会で暮らすサラリーマンもできないだろう。やっぱり、今の考えがベストだろう。たとえ、すべてが実現しなくても、富山に帰ることだけは絶対に実現したい。やはり、両親は俺が一緒に住むことを望んでいるだろう。ここまで、育ててくれた両親を見捨てるわけにはいかないだろう。

 「ネパールの旅」の次の目標「日本列島徒歩縦断」の夢もあったが、あきらめるしかなさそうだ。あきらめると言いながら「あー。よかった。」とほっとしている自分がいることもたしかだ。でも、「やりたい。」と思っている自分もいる。はっきり言って、「ネパールの旅」で完全燃焼できたならば、この夢はあきらめてもいいのだが・・・・。今一つ完全燃焼できなかった俺。俺自身、ブラブラする放浪よりも、何か一つの目標を持って汗をかく冒険のほうがむいているのかなあ。

4月1日(月) 
パタン・プルナさんの自宅滞在

 まだ、買っていないお土産を買うためにカトマンドゥの街を走り回る。それとともに、カトマンドゥの知り合い、友人、店のおじさん等のところへ行ってあいさつ。夜はプルナさん、パンチャ君、ウタン君の3人が俺のために送別会をひらいてくれる。うれしくもあり、寂しくもあるネパール最後の夜だった。










                                お世話になったプルナさん一家

4月2日(火) 
パタン・プルナさんの自宅滞在→カトマンドゥ空港→タイ・バンコック

 9時過ぎにプルナさんとパンチャ君とともに、家を出て、空港に向かう。見送りをしてくれる彼ら二人のの気持ちが伝わってくる。空港で別れる瞬間、心の底から、別れの寂しさがわきあがってくる。「もう一度、ネパールに来たい。そして、プルナさんやパンチャ君に会いたい。」そんな気持ちでいっぱいになる。
 空港では、ネパールで時々出会った鈴木君とまた出会う。彼ともう二人の日本の計4人で、そのあと行動をともにする。バンコックでは、ホテルから4人で噂のパッポンストリートへ遊びに出る。バンコックはすごいところだ。

4月3日(水)
バンコック滞在

 リコンファームの手続きを終え、夜は同行の日本人の知り合いの女の子(バンコック在住)の案内で、タイ風海鮮鍋「スキヤキ」を食べに行く。久しぶりの海の味覚が最高においしかった。

4月4日(木)
バンコック滞在

バンコック在住の女の子の案内でプールへ泳ぎに行く。

4月5日(金)
バンコック滞在

 エメラルド寺院を見学。

4月6日(土)
バンコック空港 → (飛行機) →

 空港で偶然、大学のワンゲル部の同期で、インドを旅してきた村上と出会う。彼とは同じ飛行機で日本まで一緒。

4月7日(日)
 → 大阪空港  → 京都

 大阪空港の手荷物検査で、日本から持っていた梅肉エキス入りの薬が麻薬と間違えられ、別室に連れて行かれ、ザックの中身をすべて厳しく調べられる。もちろん、あやしいことは身に覚えがないので、無事に無罪放免。しかし、メチャクチャ腹が立つ。そのため、やっと日本に帰ってきたという感激が薄れてしまった。
 とにかく、無事に帰国。ついに2ヶ月に及ぶネパール放浪の旅に終止符。
 
もう、終わりです。