期 間 1984年7月日(金)〜8月27日(月)
登った山 北海道 大雪山縦走(8泊)、利尻山(2泊)、羅臼岳(1泊)、
知床半島トレッキング(3泊)
東北 八甲田山(2泊)、八幡平・岩手山縦走(3泊)、早池峰山(1泊)、
鳥海山(2泊)
7月6日(金) 晴れ
京都 →(鉄道)→ 舞鶴 → (フェリー) →
死ぬほどの暑さの中、京都を出発。後輩の川野君が見送りにきてくれた。しかし、大学の応援歌「グレーター立命」を少人数でラッシュ時に歌うのはとても恥ずかしかった。
フェリーの中では、山ヤの兄ちゃんと親しくなる。
7月7日(土) 晴れ
→ (フェリー) →
暇なので、ほとんど昼寝。
7月8日(日) 晴れ
小樽 → (ヒッチハイク) → 旭川 → (バス) → 旭岳キャンプ場
小樽に上陸後、ヒッチ1発で旭川で来る。乗せてくれた人が神戸からの旅行者で、俺のためにわざわざ旅のルートを変えて、旭川まで来てくれたのだ。どうも、ありがとう。しかし、幌なしジープの後ろだったので、メチャクチャ寒かった。予定より早く旭川に着き、旭岳キャンプ場行きのバス時間までたっぷり4時間も時間があき、駅でぶらぶらと暇をつぶす。
旭岳キャンプ場は現在、小雨。明日は晴れるだろうか。
7月9日(月) 晴れのちくもり
旭岳キャンプ場 → 姿見の池 → 旭岳 → 間宮岳 → 北鎮岳 → 黒岳小屋
朝のうち、申し分のない快晴。姿見の池まではまさしく夏山気分。しかし、ヤブカの多いのには悩まされた。手でヤブカを払いのけながら登らなければならず、ペースが乱れ、非常に疲れる。旭岳からは急にガスってきて、風景はほとんど見られず。2年前に登ったときと同じである。
あのときは、雨も降っていたなあ。2年前の大学1回生のとき、、ワンダーフォーゲル部の北海道放浪合宿において、単独登山が禁止されていたにもかかわらず、そのルールを破って一人で旭岳に登り、それが先輩にばれて叱られ、結局、ワンゲル部を退部することになった。考えてみれば、あの時、旭岳を登っていなければ、今、俺は旭岳を登っていないだろう。旭岳は俺の人生の分かれ道だった。あのまま、夏合宿で問題をおこさなければ、俺はそのままワンゲル部にひたり、今頃は夏山合宿にむけてのトレーニングでもしているだろう。不思議なものだ。あのまま、ワンゲル部に残ったほうがよかったのか?いや、やっぱり、今のほうがいい。今、所属しているバックパッキングクラブ「ランブル」に完全に満足しているわけではないが、やっぱり、俺は一人で自由気ままに山に登っているほうが幸せだ。他人にわずらわされることなく、自分だけの山があるのだから。
しかし、思い出すなあ。2年前、旭岳を登り終え、キャンプ場でブラブラしていると、先輩の藤川さんが現れ、夜中の1時ごろまで話をしていた。そのあと、バラバラに分かれて北海道を旅していたワンゲル部の4人が宗谷岬に集結し、そこでリーダーの依藤さんにメチャクチャ叱られ、かなり落ち込んでしまい、残りの夏休みは全然おもしろくなかった。今では笑って話せるが、当時の自分にとってはかなり深刻な問題だった。
あれから2年の間に俺は変ったのか。親しく頼りにしていた先輩達もみんな卒業し、俺は3回生になり、サークルの役員にもなっている。かわしい(本当は生意気な)後輩たちもたくさんいる。俺は今、尊敬していたあのときの先輩たちと同じ立場になっているわけだが、俺は後輩たちにどのように思われているのだろうか。
なんだか、暗い話になったが、みんな過去のことだ。今は今でしかない。明日からの縦走に備え、今日も早く寝よう。
7月10日(火) 晴れ
黒岳小屋 ←→ 黒岳 →北海岳 → 白雲岳・赤岳 → 白雲岳避難小屋←→緑岳
信じられないような快晴。まことにラッキー。朝のうちに黒岳をピストンしたのだが、頂上から見た雲海は今までみたことがないような光景だった。縦走路に咲く高山植物もすばらしかった。コマクサ、エゾツガザクラ、キンバイ、リュウキンカなど数多くの高山植物の花が赤や黄色で山を彩っている。まさしく、大雪山は天上の楽園である。
白雲岳避難小屋はわりとりっぱな作りである。人が少ないと思っていたが、けっこう登山者が泊まっている。明日はヒサゴ沼までの6時間がんばります。
黒岳からの雲海
7月11日(水) 晴れ時々くもり
白雲岳避難小屋 → 忠別岳 → 五色岳 → ヒサゴ沼
昨日ほどではないが、まあまあいい天気。風はすごぶる冷たいが、気持ちよく歩ける。今日は、昨日、避難小屋で一緒だった関西学院大学の兄ちゃんと一緒に行動。のんびりしたペースだったが、久しぶりに人と歩くのもいいだろう。
ところで、ヒサゴ沼は思っていたよりもきれいな湖だ。コバルトブルーの湖面と回りの風景ががなんともいえない雰囲気をかもし出している。
ヒサゴ沼
7月12日(木) 快晴
ヒサゴ沼 → トムラウシ山 → 三川台 → 二ツ沼
朝のうちは風も冷たく、天気も曇っていたが、トムラウシ山を越えたあたりから、一昨日と同じくらいの快晴。もう、最高!トムラウシ山からの眺めもよかったし、黄金ヶ原のお花畑もすばらしかった。10時40分頃にサイト地に着き、テントを張る。そのあと、照りつける太陽の下で、パンツ1枚になって、トムラウシ山を眺めながら昼寝。まさしく、幸福そのもの。下界の嫌なこともすべて忘れてしまう。やっぱり、山は最高だ。これがあるから、俺は生きているんだ。
今晩、サイト地で一人かなと思っていたが、夕方、2パーティーが現れ、これでクマへの心配はなくなった。問題は明日だ。美瑛岳まで一人で大丈夫だろうか。
トムラウシ山

7月13日(金) 暴風雨
二ツ沼 → 双子池 → オプタテシケ → 美瑛岳避難小屋
まったくのドツボ!マジで遭難するかと思った。物凄い風と雨。朝のうちは、青空も広がり、太陽も出ていたので、大丈夫と思って出発したのでが、だんだんとガスってきて、オプタテシケの登りあたりから、吹き飛ばされるほどの暴風雨となった。最初、とてもビビって、飛ばし気味で歩いたが、気ばかりがあせって、体がついてこない。そして、オプタテシケのピークを過ぎてからは、風がいっそう強くなり、自分一人でいることが非常に怖くなってきた。考えてみれば、ワンゲル部を去ってからずっと単独行ばかりだったが、いつも天気のいいときばかりで、こんな暴風雨のときはなかった。今回、俺はマジで遭難するんじゃないかと思った。
だが、ベベツ山あたりから気持ちも落ち着き始め、とにかく、視界のきかないこの状態で絶対に道を見失わないようにしようと思い、ふみ跡を確実に確かめながら歩いた。そのおかげで、なんとか無事に美瑛岳避難小屋にたどり着いた。小屋が自分の視界に入ってきたときは、もう、救われた気持ちでいっぱいだった。
ほんとうに今日はひどかった。こんなことなら、昨日のうちに、昼寝なんかせずに双子池まで行っておけばよかった。まあ、でも、こうして無事にたどり着けたのだからいいか。でも、ザックカバーを風で吹き飛ばされてしまった。
あー。寒い。現在、風が吹き荒れている。明日は沈殿しよう。
7月14日(土) 雨のち曇り
美瑛岳避難小屋・沈殿
朝から雨。沈殿を決定。この小屋は今までの小屋と違い、まったくのボロ小屋。雨漏りはするし、風は吹き込んでくるし。
ほんとうに暇な一日です。
7月15日(日) くもり
美瑛岳避難小屋 → 美瑛岳 → 十勝岳 → カミホロカメトック避難小屋
まったくの楽勝コース。天気は今ひとつだったが、小屋まではコースタイムの半分の時間で着いた。十勝岳の砂礫の登りは多少しんどかったが、あとはまったくの楽勝。
小屋には、とても早く着いたが、一緒に小屋に泊まっている沖縄の人がおもしろい人で、いろいろな話が聞けて退屈しない。
現在、視界がほとんどきかないくらいガスっている。天気予報は今ひとつ。明日、なんとか晴れてほしい。早く下界の空気が吸いたい。というよりも、早く風呂に入ってビールが飲みたい。 肉が食いたい。俺にたんぱく質を!ビタミンを!
7月16日(月) くもり時々晴
カミホロカメトック避難小屋 → 富良野岳 → 原始ヶ原 → 布札別 →(バス)→富良野駅 → 扇山(橋の下でサイト)
暑い。疲れた。風呂に入りたい。林道歩きがだるかった。
ヒッチ失敗!
ついに縦走が終わった!
久しぶりに一人だけ!
明日はカニの家に行くぞ!
明日は絶対ヒッチするぞ!今日はイマイチ気合が入らなかった!
7月17日(火) くもりのち雨
扇山 →(ヒッチハイク) → 新得 →(ヒッチハイク) → 然別湖
車に乗せてくれた人が営林署の伐採木の入札現場(山の中)を見に行くというので、いっしょに行く。だるかったけど、おもしろかった。朝飯と昼飯をおごってもらう。
7月18日(水)
然別湖 → 糠平湖 → 帯広
然別湖でオショロコマとニジマスを釣る。全部小さいのばかり。すべてリリース。
カニの家は、昨年とリーダーが替わっていて、今ひとつの寂しい雰囲気。関西大学のブンブンさんと親しくなる。
7月19日(木)
帯広カニの家・停滞
洗濯をする。夜、先輩の西胤さんと友人の道北君が現れる。久しぶりの再会を喜ぶ。
7月20日(金)
帯広カニの家・停滞
ほとんど西胤さんと一緒にぼけーとしていた。
7月21日(土)
帯広カニの家→上士幌→カニの家
リーダーの自転車を借りて、西胤さんと一緒に上士幌に釣りに行く。残念なことにまったく何も釣れず。
夜、後輩の弓場と川野がやって来る。
昨年のリーダーとヘルパーの3人で居酒屋に飲みに行く。
7月22日(日)
帯広カニの家 →(ヒッチハイク)→ 糠平 → (ヒッチハイク)→幌加温泉
弓場と二人でニペソツ山に登るために移動。
7月23日(月) くもり
幌加温泉 →(ヒッチハイク)→ 大雪ダム
朝、5時40分頃、弓場と二人でニペソツ山に向かったが、30分くらい歩いてやめることにした。どうも二人とも気合が入らない。弓場は昨日までミーハー観光旅行をしていきて、どうも山登りのリキが失せたらしい。俺もカニの家での4連泊がきいて、怠惰な生活に慣れ切ってしまい、どうも今ひとつ。ほんとうは、日高山脈に行く予定だったが、二人ともクマを恐れて、安全そうなニペソツ山に決めたのだが、やっぱりだめだった。どうも、俺は他人と行くと軟弱になる。
さて、今日は2年前と同じ場所にテントを張っている。あのときは、オショロコマがよく釣れたが、今年はさっぱり釣れない。ところで、俺は釣り人か?山ヤか?俺は山に登りに来たんだ。久しぶりに一人だ!
7月24日(火)
大雪ダム →(ヒッチハイク)→ 旭川 → (ヒッチハイク)→ 留萌 →(ヒッチハイク)→初山別
40号線を通って稚内に行こうと思っていたが、ヒッチで乗せてくれた人が海岸線のほうがいいと教えてくれたので、そっちにする。ヒッチはとてもうまくいき、特に最後に乗せてくれた人が、わざわざ初山別まで送ってくれた。おまけに烏賊焼きもおごってもらう。
海岸でテントを張る。海で遊んでいた地元の小学生にウニとツブガイをもらう。久しぶりに酒を買って、もらったツブガイを焚き火で焼いて食う。うまかった。
河口では、フライでおもしろいくらいウグイが釣れた。
7月25日(水)
初山別 →(ヒッチハイク)→ 稚内 → (フェリー)→利尻島・オシドマリ
やばい。風邪をひいてしまった。夕べ、酒を飲んで暑かったので、Tシャツ1枚でシュラフカバーだけで寝たのだが、朝方、寒く、それで風邪をひいたらしい。やばいなあ!喉が痛い。鼻水が出てきた。旅先で風邪なんかひいたことなんてないのに。油断してしまった。果たして、利尻山に登れるだろうか。
7月26日(木) 曇りのち晴
オシドマリ →利尻山 → オシドマリ
夕べ、雷を伴った物凄い雨。テントの中は水浸し。朝には雨がやみ、青空も見えてきたので、9時頃、利尻山に向かって出発。風邪が悪化してきたためか、樹林帯の登りが物凄く辛かった。途中、大雪山の二ツ沼で一緒だった苫小牧の兄ちゃんと偶然出会う。彼と一緒にピークを目指す。小屋あたりから、ガスがきれて、ピークが見えてくる。ピークにたどり着くと、ピークからは、かすかに礼文島と稚内が見え、あとは雲海。とてもすばらしかった。やっぱり、登ってよかった。
明日は、稚内に戻り、食糧の買い込みをしてから、宗谷岬を経て、知床をめざすつもりだ。
早く、風邪を治そう!
オシドマリから望む利尻山
7月27日(金)
利尻島→(フェリー)→稚内 →(ヒッチハイク)→サロマ湖
7月28日(土)
サロマ湖 →(ヒッチハイク)→知床・羅臼キャンプ場
先に集結していた西胤さん、道北、名島、川野と再会。釣りと露天風呂(温泉)の日々が開始する。
7月29日(日)
知床・羅臼キャンプ場・停滞
釣りと露天風呂。おもしろいようにオショロコマが釣れる。利尻島で知り合った山口県の近藤君が現れ、俺達のグループに合流する。
7月30日(月)
知床・羅臼キャンプ場・停滞
釣りと露天風呂と酒の怠惰な生活。弓場が現れる。
7月31日(火)
知床・羅臼キャンプ場・停滞
8月1日(水)
知床・羅臼キャンプ場・停滞
川野のバイクの後ろに乗せてもらって、相泊温泉に行く。
8月2日(木)
知床・羅臼キャンプ場→(バス)→建根別→(ヒッチハイク)→相泊 → モイレウシ川
羅臼キャンプ場に集結したサークルのメンバー6人+近藤君+バイク乗りの8人で知床半島の先端・知床岬を目指す。海岸線を歩き続ける。途中で岩場などがあり、かなりスリリング。川ではオショロコマが馬鹿みたいに釣れる。夕方はオショロコマの切り身を餌にアブラメやカジカを釣る。
8月3日(金)
モイレウシ川 → ペキン岩
8月4日(土)
ペキン岩 → 念仏岩 → 赤岩 → 知床岬
目的地の知床岬についに到着。
知床岬に向かう途中
8月5日(日)
知床岬 →(漁船)→相泊 →(ヒッチハイク) → 羅臼キャンプ場
知床岬からは、猟師さんにお願いして、漁船に乗せてのらい、相泊まで戻ってくる。(有料)。知床半島トレッキング終了。
8月6日(月)
羅臼キャンプ場 → 羅臼岳 →羅臼キャンプ場 →(ヒッチハイク)→斜里
一人で羅臼岳を登ってくる。そのあと、ヒッチでサークルのメンバーが集まる斜里町へ行き、海岸でテントを張る。
羅臼岳
8月7日(火)
斜里・停滞
8月8日(水)
斜里 →(ヒッチハイク) → 帯広カニの家
サークルのメンバーと別れ、一人で帯広をめざす。途中でキャッシュカード入りの財布を落としたことに気づき、最悪。ヒッチで乗せてくれた人からお金をもらって旅を続ける。
8月9日(木)
帯広 →(ヒッチハイク) → 札幌・友人の家
昨年の春に沖縄・西表島で知り合った納谷君と吉田君に会い、吉田君の家に泊めてもらう。2人には、財布を落とした事情を説明し、お金を借りる。
8月10日(金)
札幌 →(ヒッチハイク) → 仁木町・友人の家
大学の友人の高句君の家に昨年に引き続き泊めてもらう。高句君からもお金を借りる。
8月11日(土)
仁木町 →(ヒッチハイク) → 函館 → (フェリー) →
8月12日(日)
→(フェリー) → 青森 → (バス) → 酸ヶ湯温泉
久しぶりに日記をつける。日記をつけるのは何日ぶりだろうか。今日まで何があったかというと、物凄い大事件。忘れもしない8月8日。斜里でみんなと別れ、一人で帯広に向かってヒッチをしている間にキャッシュカード入りの財布を落としてしまった。ほんとうに迂闊だった。阿寒湖でちょうどヒッチの車に乗ろうとしているときに気がついたのだ。そのときは、とても落ち込んだ。でも、うれしいこともあった。そのとき、乗せてくれた人が俺の話を聞いて、5000円をカンパしてくれたのだ。ほんとうにうれしかった。最近、どうも俺の旅もマンネリ化してきて、人からの親切もなんとなく当たり前に感じるようになっていたが、やっぱり、俺は間違っていた。困っている俺にお金をくれる人がいるなんて・・・。やっぱり、人間は一人では生きていけないし、人生は人に助けられて生きていくんだなあ。
その次の日も、ヒッチで乗せてくれた人からもお金をもらった。
お金がないので、旅を中止し、実家に帰ろうとも考えたが、やっぱり、そのまま旅を続けることにした。西表島で知り合った札幌の納谷君と吉田君、大学の友人の高句君にお金を借り、なんとか旅を続ける目処がついた。本当にいい友をもってよかった。
ヒッチで乗せてくれた人、友人、みんな、ありがとう!がんばるぜ!
8月13日(月) 雨
酸ヶ湯温泉・沈殿
8月14日(火) くもりのち晴
酸ヶ湯温泉 → 毛無岱 → 赤倉岳 → 井戸岳 → 大岳 → 小岳 → 高田大岳 → 谷地温泉
10時頃までは一面のガス。しかし、そのあと、青空も広がり、ガスも消えて、もう夏山気分。八甲田山はいい山だ。
八甲田山・高田大岳
8月15日(水) 晴
谷地温泉→(ヒッチハイク) → 黄瀬・奥入瀬渓谷 →十和田湖・子ノ口キャンプ場
黄瀬川で釣りをしたが、全くダメ。黄瀬から奥入瀬渓谷の遊歩道を十和田湖までずっと歩く。最初は人も少なく、気持ちよく歩けたが、途中から物凄い人の数。遊歩道は人、道路は車で埋まっている。
キャンプ場はファミリーキャンプだらけ。いいキャンプ場なんだけど、カラオケがうるさいし、隣のテントも騒がしい。
キャンプ場では、京都大学のサイクリストと知り合い、いっしょにダラダラと過ごす。
8月16日(木) 晴
十和田湖・子ノ口キャンプ場→(ヒッチハイク) → 鹿角 →(ヒッチハイク)→八幡平 ←→ 茶臼岳
もう最高!茶臼岳や八幡沼はほんとうにきれいだ。だが、人が多すぎる。もう、こんないい場所を観光地にするな!
今日は避難小屋に一人きり。なんだか怖いないなあ。
8月17日(金) 晴
八幡平 → モッコ岳 → 大深岳 → 三石山 → 三石避難小屋
最高の気分!天気はいいし、アップダウンも少なく快適な縦走路。特に、途中にあった大深山荘の水場付近は、雄大な岩手山が眺望できる一面のお花畑。そこで昼寝をしてこれば至福の時を過ごせただろうなあ。さて、明日は岩手山のピークを攻め落とし、温泉に入るぞ!
ところで、もう疲れがでている。早く家に帰りたい。なぜだろうか。ほんとうはもっと気合いが入っていねければならないのに。やはり、財布を落として借金をして旅を続けているからだろうか。残金2万円。タバコも我慢しなければならない状態。いつもならば、通帳にいくらかのお金があるので、キャッシュコーナーさえあればなんとかなるという心の余裕があるのだが、今は全く余裕なし。
早く家に帰ってビールを力いっぱい飲んで、風呂に入って、テレビを見て、柔らかい布団でぐっすり眠りたい。やっぱり、一生、こんな放浪の生活を続けるなんて俺には無理だ。帰る場所(家)があるから、こんな旅ができるんだろうな。
そろそろ日本も飽きてきた。全国を旅したわけではないが、どこへ行ってもいっしょという気がしてきた。(ただし、山は別)。どこに行っても人ばかり。美しい場所はすべて観光地になっている。ひとつ根性を出して外国へ行ってみようか?ネパールあたりへ!9月からは真剣にバイトをしてお金をためよう!
8月18日(土) 晴
三石避難小屋 → 大松倉山 → 黒倉山 → 岩手山 → 馬返し →(ヒッチハイク)→柳沢・岩手山神社
今日もまた最高の天気。岩手山はメチャクチャ良かった。下山は少ししんどかったが、なんとかクリア。ついに裏岩手縦走をやり終えた。あと、登る山は鳥海山だけだ。
ところで、今日、キャンプ場でテントを張ろうと思い、キャンプ場を管理する白百合山荘に行ったら、サイト料を300円という。キャンプ場には水場も便所もないのに300円という料金。借金旅行者には辛い。
そこで、温泉に入ってから、ビールを飲みながら5日ぶりのタバコを吸っていると、岩手山神社のおじさんが境内でテントを張ってもいいと言うので、おもわず、お言葉に甘えて境内にテントを張らしてもらう。おまけにビールも飲ましてくれるし、晩飯も食わしてもらった。どうも、ありがとう。ほんとうにつ いているなあ。 岩手山
また、タバコを買ってしまった!なんて俺は意思が弱いのだろう!
明日は友人の佐藤の家だ!ゆっくり寝よう!
8月19日(日) 晴
柳沢 →(ヒッチハイク)→ 滝沢IC →(ヒッチハイク) → 水沢・友人宅
初の高速道路ヒッチ。さすがに早い。水沢まで1時間もかからずに、午前中のうちに佐藤の家に着いてしまった。午後からは、佐藤の運転する車で水沢市内観光。久しぶりの観光客気分である。夜、佐藤宅でごちそうになる。
8月20日(月) くもりのち晴
水沢・友人宅 →(バス) → 水沢駅→(鉄道)→花巻→(バス)→河原ノ坊 → 早池峰山頂上小屋
突然、佐藤と一緒に早池峰に行くことになる。台風の影響が心配されたが、全然関係なし。河原ノ坊からの登りはかなり急登であり、苦しかったが、思ったほど時間もかからず頂上小屋にたどり着く。久しぶりに他人と山登りしたが、彼とは長い付き合いになるので、別に気配りも必要なく、楽しい山旅となる。
夕陽がとてもきれいだった。
8月21日(火) 晴
早池峰頂上小屋 → 中岳→鶏頭山 → 岳 →(バス)→ 花巻 →(鉄道)→ 水沢駅→水沢・友人宅
朝、小屋で一緒だった人に起こしてもらい、初のご来光を拝む。鶏頭山までの縦走は岩場あり、樹林帯ありでけっこうおもしろい。ただ、距離が短く、すぐに下界に下りてしまう。
夜は佐藤宅で泊まる。
早池峰山頂にて
8月22日(水) くもりのち雨
水沢・友人宅 →(自家用車)(ヒッチハイク) → 横手 →(ヒッチハイク)→ 本荘
朝、佐藤の車で途中まで送ってもらい、そこからヒッチでなんとか本荘まで来たが、途中から台風の接近で物凄い暴風雨。もう少しヒッチで車に乗るのが遅れたら、ドツボにはまるところだった。本荘駅で泊まるのは、俺一人かと思っていたが、自転車とバイクの旅行者が来たので、そんなに不安はなかった。夜、風雨が強いのとラジカセの音がうるさく、あまり眠れなかった。
8月23日(木) 雨
本荘駅 →(鉄道) → 羽後矢島駅→(バス)→ 鳥海荘
一日中、雨。3時まで羽後矢島駅で同志社大学のサイクリストと暇を潰す。
夜、小雨のため、テントの中は水浸し。
8月24日(金) くもりのち晴
鳥海荘 → 堤口 →(ヒッチハイク)→ 猿倉登山口 → 七ツ釜避難小屋
発電所からの登りがしんどかった。天気は今ひとつ。今晩、どうも俺一人らしい。小屋は汚い。別に怖くはない。
早く、帰りたい。
いよいよ明日は鳥海山だ。
これが最後だ。
最後まで気合いを入れてがんばるぞ!
天気がはっきりしない。明日、晴れるだろうか?
8月25日(土) 晴
七ツ釜避難小屋 → 七高山 → 新山 → 御浜 → 大平 → (ヒッチハイク)→ 吹浦キャンプ場
ついに鳥海山に登頂。朝2時頃起きるつもりだったが、起きたのは5時30分。そのため、うわさの日本海に山の影が映る「影鳥海」を見ることはできなかったが、それでも天気に恵まれ、まずまずの山行。わりとあっという間に、頂上にたどり着く。
ついに終わった。あとは帰るだけだ。なんとか新潟までヒッチハイクで行きたい。そのあとは、電車で富山へ。
早いものだ。もう50日以上が過ぎてしまった。あと少しだ。うまくいけば、明日、家に帰れるかもしれない。
ところで、今日、ヒッチで乗せてくれたアベックのお姉さんはとてもきれいだった!
鳥海山にて
8月26日(日)
吹浦キャンプ場 →(ヒッチハイク)→ 酒田→(ヒッチハイク)→鶴岡→(ヒッチハイク)→新潟駅
朝、キャンプしていた小学生の団体に誘われ、地引網をひくのを体験させてもらった。
8月27日(月)
新潟駅 →(鉄道)→ 富山駅→(鉄道)→八尾・自宅
無事に自宅にたどり着き、約50日間の北海道・東北山岳放浪の旅を終了する。
山形・吹浦でみた日本海に沈む夕陽
9月5日(水) 旅の総括(京都の下宿にて)
旅が終わってからもう10日ぐらい過ぎた。そろそろ、今回のたびを振りかってみたいと思う。
今回の旅はどうだったのか?はっきり言って、今回の旅は、とても面白かったとも言えるし、つまらなかったとも言える。なんと言えばいいのか、なんとなく50日間を過ごしたような気がする。山自体は非常によかったのである。大雪山、利尻山、知床岬、羅臼岳、八甲田山、八幡平、岩手山、早池峰山、鳥海山、いずれの山のそれぞれ個性的で、そして、天気にも恵まれ、最高の山行だった。また、知床では、イワナ(オショロコマ)もたっぷり釣れたし、海の魚も釣れて死ぬほど満足。また、サークルの連中と過ごした日々もたいへん楽しかった。
なのに、なぜ、大声を出して、おもしろかった、大満足だったと言えないのか?
やっぱり、財布を落としたからなのか?
いや、それだけが原因ではあるまい。たぶん、昨年の夏があまりにも感動的で、昨年の夏の旅と比較するからだろう。つまり、昨年の旅は「歩く」ということにすべてを賭けていたし、それ自体はまさしく「苦行」だった。でも、ひとつの目的が存在しており、そのため、それをやり遂げたことに非常に満足感があったのである。ところが、今年は、あくまでも「楽しみ」というものが中心であって、そんなに苦しくなかったからだろう。
今、述べたことが第一の原因とすれば、第二の原因は「マンネリ」である。つまり、もう、旅に飽きてきて、すべての出来事が当たり前に感じられ、感動が存在しなくなってきたのである。例えば、北海道の大地の広さを見ても何も感じなくなってきたし、ヒッチハイクにしても、昔ほどおもしろくなくなってきた。また、同じ旅人と出会い、話をするのも、うっとうしくなってきた。もう、飽きてきたのである。それに、どこに行っても、観光地は人だらけだし。
どうも疲れている。もう、リキが出てこない。なんとなく、惰性だ。昔のあの旅の初々しさ、感激がない。
まあ、こんあところだ。だいたい日本は見てきた。そろそろ世界へ羽ばたこうか!
とにかく、俺はみんなの優しさに恵まれた。みんな、ありがとう!
ありがとう!
俺を助けてくれた人々よ!
俺はまたがんばって旅に出るぜ!

|
|