ハーモニカとの出会い 大正元年に生まれた一番上の兄が戦死したのは、 昭和二十年の春でした。 当時、 土壁が剥き出しの我が家の居間で母や義姉を囲むようにして近所の人たちが戦死の公報を受けて泣いていたのを思い出す。 数十`離れた町の空襲で、山間の空が真っ赤に染まりB29の爆撃機が飛び交うようになって間もなく終戦を迎え、二番目の兄が戦地から帰ってきた頃、私が小学校二年の時だった。 その二番目の兄が私に一本のハーモニカをくれた。 兄がいつ頃からハーモニカを吹きはじめ、どんなメロディ ーを吹いていたのか記憶にはない。古めかしい一本のハーモニカを直接兄の手から受け取ったときの感激は今でも脳裏の片隅に焼き付いている。その兄は結婚して間もなく戦争での病を引きずりながら他界した。 「鳩ポッポ」 が吹けるようになった頃、昭和二十二年NHKの連続放送劇がはじまった。 夕方になると「とんがり帽子」の歌がラジオから流れ、 遊び疲れた身体を揺さぶりながら微かに聞こえるラジオの前に飛んで帰ったものでした。 <キン・コン・カン・コン・・>の鐘の音から始まる「とんがり帽子」のメロディーが、脳裏から離れないものになったのは、公民館の巡回映画で映し出された「鐘の鳴る丘」を見てからであった。 四歳にして父を急性肺炎で亡くし、 二人の兄を戦争で亡くした自分の境遇と戦災孤児となった少年の生きざまを重ねて見ていたのか、 小さな垂れ幕に映っていた≪クロちゃん≫に頑張れと声援を贈り、涙して見ていた頃を思い出す。 手入れもせず、音程も狂いかけた兄の形見ともいえる一本のハーモニカで、ようやく「とんがり帽子」が吹けるようになったのは小学校六年の頃でした。 (2002年記) |