おわら風の盆
富山市八尾町では、毎年9月1日から9月3日までの3日間、「おわら風の盆」の町流しが行われます。
この時期、八尾のまちは「おわら」一色に染まります。
胡弓や三味線、太鼓と共に歌われる「おわら節」、そして「おわら踊り」は、素朴で郷愁にあふれ、
おわらに魅了された人々は、全国から何十万人も、この小さな田舎町に集まってきます。
八尾の人たちは、幼少の頃からおわらを聴き、踊り、おわらと共に育ちます。みんな、おわらをとても大切にしています。
「風の盆」の時期だけでなく、一年を通して鍛練します。
そうやって、300年以上かけて、育み、守ってきた踊りがおわらなのです。
胡弓の演者として
当店の店長、清水茂幸は、胡弓の弾き手であり、名人・伯 育男の愛弟子でもあります。
胡弓との出会い
僕が胡弓を始めたのは27歳の時です。おわらをやる人は、大体20代半ばくらいで踊りを引退して、楽器をやるようになります。
初めて胡弓の美しさを意識したのは、26才の風の盆の時。 それまで何年か八尾を離れていた僕は、おわらには参加しないで、家にいて眠っていたんです。0時になって、おわら節が遠くから流れてくるのを、布団の中で何となく聴いていたんです。その時、何故か心の中に、胡弓の音色だけが響いてきたんです。
楽器を始めよう、となった時、胡弓を選んだのは、その夜の胡弓の音色が、まだ心に残っていたからだと思います。
伝統の存続
現在のおわらの一番の問題は、担い手が少ないということです。踊りも歌も楽器も、人から人へ、伝え残してきたものですから、伝達の過程で、少しずつ変わってきてしまうのです。だから、それをできるだけ許さないように意識して、教わったままの形で、残していかなくてはなりません。
担い手不足には、八尾以外の者がおわらを習得するのは困難だという問題もあります。
母親のお腹の中にいるときから、おわらを聴いて育ってきた、僕たち八尾の人間であれば、すんなり理解できるところが、八尾で育っていない人には、習得するまでに何倍も時間がかかるんです。
おわらの魅力
胡弓を始めて、20年以上経ちますが、何度おわらを経験しても、これでよしということがありません。上達はしても技術だけで表現できないところもありますから。滅多にありませんが、歌い手と楽器が、ぴったり合った時の幸福感は最高なものです。それを経験したくて、もっともっと、という気持ちになるのかもしれません。
おわらは、日常での楽しみでもあり、守るべき大切なものでもあります。どちらにせよ、八尾の人間にとっては、生活と切り離せないものですから、これからも絶えることなく関わっていくんだと思います。