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婦負の開祖神

TEL. 076-454-3501

〒939-2304 富山県富山市八尾町黒田3166

杉原神社三社 - Sugihara shrine 3

黒田の杉原神社

 富山県富山市八尾町黒田に鎮座する杉原神社は、三社ある杉原神社の中では最も境内地が広く、鎮守森も鬱蒼としている。富山市八尾町に鎮座する杉原神社はこの一社のみであり、他二社は富山市婦中町に鎮座する。また、神職が常駐しているのもこの黒田の杉原神社のみである。神職として常駐している杉原社家は田屋の杉原神社にも奉職している。
 境内には杉の大木が林立し、古社の風格を滲ませている。近年の旱魃により数本の杉が枯れ、それ以前と比べると閑散とした感が否めないが、それでも厳粛な雰囲気は損なわれていない。

 社殿は昭和61年11月に新築されたものであり、いまだ檜の香りが漂う。神殿は天保14年建造の流造(ながれづくり)。拝殿は神殿を完全に覆う形の権現造(ごんげんづくり)である。写真の東鳥居は平成元年4月建立。夜、鳥居両脇の外陣灯籠に灯が点ると、幻想的な佇まいを見せる。現在、写真にも見える玉垣が延び続けていることからも、氏子崇敬者たちの深い信仰を集めていることが窺える。
 南鳥居は大正時代に建立されたものである。鳥居の両側に見える樹木は「真榊(まさかき)」である。一般的に見られる榊とは異なり、葉が厚く大きい。これは先々代の宮司が伊勢の神宮から苗を分けていただいたものを増やしたものである。黒田、ならびに田屋の杉原神社の祭礼では、この真榊の玉串が奉奠される。写真には社殿に続く長い参道が見えるが、この南参道が古来よりの参道である。境内参道の入り口両脇には大きな岩境(いわさか)が一対ある。祭礼の際には、この参道の両側に計12基の灯籠が立ち並び、灯が点される。春の例祭の宵祭りには、そこを黒田青年団の若人らの大和獅子が笛太鼓の音とともに練り歩いてくる。
 右の写真は南から見た黒田杉原神社の遠景。手前から鎮守の森へと続く長い南参道が見える。この参道は農繁期には農道としても有効に利用されている。また、左端に見える「合場川(あいばがわ)」は、蛍の生息でも知られている。毎年6月には、数え切れないほどの蛍の乱舞を目にすることができる。この写真に写っている場所も見所のひとつである。ちなみに、源氏蛍と平家蛍の両種が共存しており、早い時期には源氏蛍が、遅くなると平家蛍が多く見られる。



田屋(たや)の杉原神社

 富山市婦中町田屋に鎮座する杉原神社は、黒田の杉原神社の真北約3kmに位置する。大木といえるほどの杉はなく、黒田の杉原神社と比べて閑散とした感はあるが、古社としての風格は十分である。境内に大木がないのは、大正三年の水害によるもので、現在の社殿もこのときに建造されたものである。
 ここの神殿に安置されている御神体は県の重要文化財に指定されている。立山杉の一木造りによる装束姿の老翁像で、表情は穏やかな中にも威厳がある。
 ここの社名額に刻まれている文字は他二社とは異なっており、「杉原神社」ではなく「瘡エ神社」となっている。この「瘁i木久)」という漢字も「すぎ」と読み、「杉」と同意に扱われているため、特に気に留めることはないかと思われる。

 文献を見ると、延喜式に記載されている杉原神社を黒田の社とするものと、田屋の社とするものとに分かれている。風格からすれば黒田の社と見られるが、神像を有するのは田屋の社である。しかし、神像は平安時代の作であり、杉原神社の歴史はそれ以前に遡るため、これも決め手には欠ける。(黒田の杉原神社の御神体は年代不詳の石像である。)また、田屋の地名を「旅屋(たびや)」の縮まったものと解釈すれば、辟田彦辟田姫伝承と照らし合わせて考えると本社は黒田の社ということになる。だが、三社が3km足らずの間に鎮座していることも鑑みれば、敢えてどの社が本社だと特定することに深い意味はないようにも思える。

 西参道口には御神体と御祭神に関して記述した立て札がある。また、境内入り口には桜の木々が立ち並んでおり、春の祭礼時には、この桜の蕾が膨らみ、やや閑散とした境内が明るく華やかな雰囲気を盛り立て、華やいだ祭りの演出を担っている。




浜子(はまのこ)の杉原神社

 黒田、田屋の両杉原神社のほぼ中央に位置しているのが、この浜子の杉原神社である。
 この浜子の杉原神社には、他二社と異なり、杉原社家ではなく野上社家が奉職している。古くより(天保年間以前(-1681))、この神社には野上氏が奉職してきており、それを継承したものであろう。野上氏は享保年間(1716-1736)に上新川へ移転しているため、現在の野上社家は明治維新の神仏判然以降、再び奉職するようになったものと思われる。徳川幕府の寺請制度が地方に浸透し、寛文年間(1661-1673)には婦負郡細入村片掛村の真言宗長久寺の僧が別当として奉職するようになり、以後、明治まで奉仕を続けた。

 この浜ノ子の杉原神社に関しては、種々文献等を調べてみてもあまり詳しい記述がなく、祭神を見ても他二社が「久々能智神(くくのちのかみ)」が主であるのに対し、「奥津那藝佐彦神(おきつなぎさひこのかみ)」「邊津甲斐辨羅神(へつかいべらのかみ)」と、かなり異なっている。これら二神は共に海の神であり、地名に「浜」とあることから、ある時期に海縁から移住してきた人々が、それまで祀っていた氏神をそのままこの地にお連れして、この地の氏神「杉原神」と合わせ祀ったものと推測できる。また、浜ノ子の杉原神社が黒田、田屋、両杉原神社を結んだ直線上にぴったりと位置していることから、他二社の後から計画的に建立したものと考えられる。このあたりは推測の域を出ないが、延喜式に浜ノ子の杉原神社を記した文献がほとんどないことからも、他二社より時代が下る可能性が高い。

バナースペース

延喜式内 杉原神社

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